元・天津駐在員が送る中国エッセイ
***************語学の習得には、その国の歴史、思想、習慣などの知識が必要です。 中国は、私たち日本の隣国であり、世界の大国でもあります。これからいやでもうまくつきあっていく必要があります。一緒に中国の事を勉強しましょう。***************
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Author:shinoper
私たちには理解できない中国人の行動や考え方には、何かの理由があると思います。
それが、歴史の中にあるのか?
社会環境にあるのか?
お互いによい関係を気づくために、理解しあえるようなブログにできたら良いなと思います。



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日本の資源
20年前仕事の関係である中国人と知り合った。

数年彼と仕事をした後、私は日本に帰国した。
丁度そのころ、彼は日本に駐在する事になった。

私は、その後香港駐在、天津駐在を経て大阪に来た。
彼は、今では独立し日本で小さな貿易会社を経営している。

最近、十数年ぶりに個人的なつきあいが始まった。

今日も、久しぶりに会ってたわいもない話をしていた。
そして、日本人の物作りの精巧さという話題になった。

私が「日本は資源の少ない国であるから、日本人は一生懸命働くしか仕方がないのではないか。」と言うと、
彼は、それは日本人の謙遜であるという。

彼は、日本には、水という大きな資源があるという。
「水は、人間が生きる上においてなによりも大切な資源であり、その資源がない国は世界で大変多い」という。

そして、日本のやさしい自然も大きな資源であると言う。
はっきりと分かれている四季。
暑すぎない夏。
寒すぎない冬。
そして綺麗な空気。

中国では、自然災害が非常に多い。
なにかやっていても、自然災害が起こると他の事はできなくなる。
なによりも生きていく為の基礎が根底から揺さぶられ、物作りどころではなくなる。
中国人はどれだけの人生の時間を、基本的な「生きる」という事に費やさなければならないのであろうか。

その言葉を聞いたとき、余華氏の「活着(生きる)」という物語が、改めて心の中に蘇ってくる気がした。






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真の日本を考える Part 5 -- 大アジア主義
1924年(大正13年)11月28日孫文は、神戸で頭山満と会談した翌日に「大アジア主義」という講演を行っている。

= 孫文の大アジア主義 =

「本日は皆様よりアジア主義と言うことについて、私に講演しろと言うお話でありました。
「わがアジアはとりもなおさず最も古い文化の発祥地であります。……アジアは一度は衰微しましたが、三十年前に再び復興し来ったのであります。然らば此の復興の起点は一体何処に在りましたかと言うに、それは即ち、日本が三十年前に外国と締結しました一切の不平等柔約を撤廃したことです。日本の不平等条約撤廃の其の日こそ、我がアジア全民族復興の日であったのであります。

「三十年前日本は不平等条約を廃除して独立国となった時に、日本に非常に接近して居る民族・国家は大なる影響を受けたことは受けましたが、アジア諸民族をして全体的にそれ程大なる感動を受けさせることが出来なかったのであります。

然し乍ら、それより十年を過ぎて日露戦争が起り、其の結果日本が露国に勝ち、日本人が露西亜人に勝ちました。これは最近数百年問に於けるアジア民族の欧州人に対する最初の勝利であったのであります。此の日本の勝利は全アジアで影響を及ぽし、アジア全体の諸民族は皆有頂天になり、そして極めて大きな希望を抱くに至ったのであります。此の事に付いて私が親しく見ました事をお話し申上げましょう。

日露戦争の開始されました年、私は丁度欧州に居りましたが、或る日東郷大将が露国の海軍を敗った、露西亜が新に欧州より浦塩に派遣した艦隊は、日本海に於て全滅されたと言うことを聞きました。此の報道が欧州に伝わるや全欧州の人民は恰も父母を失った如くに悲み憂えたのであります。

英国は日本と同盟国でありましたが、此の消息を知った英国の大多数は何れも肩を顰め、日本が斯くの如き大勝利を博したことは決して白人種の幸福を意味するものではないと思ったのであります。これは正に英語でBlood is thicker than water〈血は水より濃い〉と言う観念であります。

暫くして私は船でアジアに帰ることになり、スエズ運河を通ります時に、沢山の土人が、共の土人はアラビヤ人であったようですが、私が黄色人種でありますのを見て、非常に喜び勇んだ様子で私に〈お前は日本人か〉と問いかけました。私は〈そうではない。私は中国人だ。何かあったのか、どうしてそんなに喜んで居るのか〉と問いましたところ、彼等の答えは〈俺達は今度非常に喜ばしいニュースを得た。何でも日本はロシアが新に欧州より派遣した海軍を全滅させたと言うことを聞いた。この話は本当か。俺達はこの運河の両側に居て、ロシアの負傷兵が船毎に欧州に送還されて行くのを見た。これは必定ロシアが大敗した一風景だと思う。以前我々東洋の有色民族は何れも西洋民族の圧追を受けて苦痛を嘗めて居て、全く浮かぶ瀬がないと諦めて居たが、今度日本がロシアに打ち勝った。俺達はそれを東洋民族が西洋民族を打敗ったと見做すのだ。日本人が勝った。俺達はその勝利を俺達自身の勝利と同様に見るのだ。これこそこおどりして喜ぶべきことだ。だから俺達はこんなに喜んで居る、こんなに喜んで居るのだ>と言うことでありました。

「今私が大アジア主義を講演しますに当って述べました以上の話は、どんな問題であるかと申しますに、簡単に言いますと、それは文化の問題であります。東方の文化と西方の文化との比較と衝突の問題であります。東方の文化は王道であり、西方の文化は覇道であります。王道は仁義道徳を主張するものであり、覇道は功利強権を主張するものであります。仁義道徳は正義合理によって人を感化するものであり、功利強権は洋銃大砲を以て人を圧追するものであります。感化を受けた国は、仮令宗主国が衰微しても、数百年の後に至る迄、なお其の徳を忘れるものではないと言うことは、ネパールが今日に於てもなお且つ中国の感化を切望し、中国を宗主国として崇拝しようとして居る事実に依って明らかであります。これに反して圧迫を受ければ、仮令圧追した国が非常に強盛であろうとも、常に共の国家より離脱せんとするものであることは、英国に対するエジプトおよびインドの関係がこれを示して居ります。即ち英国はエジプトを征服しインドを滅し、現在非常に強盛となって居りますが、エジプトおよびインドは常に英国より難脱しようとして居ります。これが為彼等は盛に独立運動を起して居ります。……我々は今こう言う世界に立って居るのでありますから、我が大アジア主義を実現するには、我々は何を以て基礎としなければならないかと言いますと、それは我が固有の文化を基礎にした道徳を講じ、仁義を説かねばなりません。仁義道徳こそは我が大アジア主義の好個の基礎であります。斯くの如き好個の基礎を持って居る我々が、なお欧州の科学を学ぽうとする所以は工業を発達させ、武器を改良しようと欲するが為に外なりません。欧州を学ぶのは決して他国を滅したり、他の民族を圧追したりすることを学ぶのではないのであります。唯だ我々はそれを学んで自衛を講じようとするのであります。

「我々が大アジア主義を説き、アジア民族の地位を恢復しようとするには、唯だ仁義道徳を基礎として各地の民族を連合すれば、アジア全体の民族が非常な勢力を有する様になることは自明の理であります。
「さて最後に、それならば我々は結局どんな問題を解決しようとして居るのかと言いますと、圧迫を受けて居る我がアジアの民族が、どうすれば欧州の強盛民族に対抗し得るかと言うことでありまして、簡単に言えば、被圧迫民族の為に共の不平等を撤廃しようとして居ることであります。……

 我々の主張する不平等廃除の文化は、覇道に背叛する文化であり、又民衆の平等と解放とを求める文化であると言い得るのであります。貴方がた、日本民族は既に一面欧米の覇道の文化を取入れると共に、他面アジアの王道文化の本質をも持って居るのであります。今後日本が世界文化の前途に対し、西洋覇道の鷹犬となるか、或は東洋王道の干城となるか、それは日本国民の詳密な考慮と慎重な採択にかかるものであります。


1944年10月16日頭山満氏が亡くなったとき、Newsweek は、このように報道している。


富士山麓の閑静な山荘で先週、89歳の老人が長い闘病生活の末に死んだ。晩年は衰弱していたが、優しく温和なところは変わりがなかった。質素な衣服で白い髪をたたえた、優しいまなざしの老人は、あたかも聖なる予言者のようだった。

日本人にとって、彼はまさに聖人だった。自らはおっていた着物を乞食に差し出し、貧しきものに財産を分け与え、穏やかに思いやり深く日本の「臣民」を代弁した。だが軍人や政治家財界人にとっては、最も恐るべき人物だった。その名は頭山満ー「黒龍会」の指導者、政治犯罪扇動家、そして近代日本の陰の立て役者である。

頭山が愛国的動機と悪への喜びから政治犯罪に手を染めたのは、60年以上も前のこと。日本は偉大だという信念が、狂信的行動を支えた。手段は、暗殺と恐喝だった。「黒龍会」は彼の組織した秘密結社の一つにすぎず、結社をすべて合わせると構成員は、1000万人に達したとみられる。

投獄されることもなかったが、頭山満は満州侵攻、2・26事件、二人の首相と数人の閣僚暗殺に関与していた。1941年までに、彼の諜報網は太平洋全域に広がっていた。静かながら輝かしい頭山の悪の経歴は、まな弟子の東条英機による真珠湾攻撃によって頂点に達した。


つづく






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真の日本を考える Part 4
日本の、そして世界の転換点ともなった'''豊島沖海戦'''で、日本は圧倒的な勝利を手にする。
これ以降、日本中国での軍事的快進撃は開始されることになる。

日本で語られる歴史をみていると、あまりにも簡単に勝利を手にしているように思える。
そんなに簡単に戦争に勝てるものなのだろうか。
日本では、語られていない事実があるのではないだろうか。

日清戦争が始まった時に、清朝でスパイとして処刑された'''石川伍一'''とは、どのような人物だったのであろう。

明治維新から18年、日清戦争8年前の1886年春、一人の軍人が上海を歩いていた。
その姿は、軍人ではなく、労働者であった。

= 荒尾精 =

彼は、尾張藩士として生まれ、陸軍教導団砲兵科に入学。更に陸軍士官学校に入り、熊本歩兵連隊に赴任。1882年12月に同校卒業、歩兵第13連隊付となる。1885年陸軍参謀本部支那部付けになった。翌年、参謀本部の命を受け、情報収集の為に中国に赴任。


彼が上海で、会いに行った人物は、岸田吟香氏。
東京の銀座で、楽善堂を起こし、上海に支店を造っていた。
荒尾精氏は、彼の薦めで漢口に楽善堂支店を創り、商売をしながら、情報活動を行うことになる。
その楽善堂には、天津や上海から日本の浪人が集まってくる。
その中に、石川伍一がいたのである。

それから、2年後、玄洋社からも楽善堂に青年が派遣される。

玄洋社、それは、総帥頭山満氏ら旧福岡藩士を中心によって、1881年(明治14年)に結成されたアジア主義を抱く政治団体である。日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦そして第二次世界大戦と数々の戦争において情報収集や裏工作に関係していたとされ、敗戦後、GHQに解散させれれている。A級戦犯として処刑される広田 弘毅氏、土肥原 賢二氏とも関係が深い。1889年大隈重信爆殺未遂事件も起こしている。その行動は過激であり、幕末の桜田門外の変を思い起こさせる。

漢口の楽善堂での情報活動は、浪人を集めたもので、あまりうまくいかなかったようである。その後、荒尾精氏は、一度日本に帰り山縣有朋氏から4万円を受け取り、日本からの学生150名を引き連れ、上海で日清貿易研究所を開く。

楽善堂、日清貿易研究所がスパイ組織であったという中国側の見解は、すこし偏っているようにも思えるが、荒尾精氏が軍人で有ったこと、また、香港の鳳凰網でみられる動画によると、日清貿易研究所の第一期卒業生89名の内72名が日清戦争に従軍しているそうであり、否定することは難しいように思える。

日清貿易研究所は、日清戦争によって閉鎖されるが、戦後再び同文書院として再開される。初代院長の根津一氏も軍人である。荒尾精氏が集めた情報を彼は、『清国通商綜覧』として編纂刊行している。同文書院は、東亜同文会が経営母体であった。東亜同文会は、東亜会と同文会が合体した組織であり、東亜会には、玄洋社の創始者の息子、黒龍会の内田良平氏、孫文らの中国革命を援助した宮崎滔天氏などがいた。同文会には、A級戦犯とされ服毒自殺をした近衞文麿氏の父、公爵・近衛篤麿氏がいた。近衛文麿氏は、同文書院の院長も務めている。

さらに東亜同文会は、玄洋社とも密接に結びついていた。玄洋社の総帥頭山満氏は、中国の孫文、蒋介石ともかなり深い交流があった。

つづく






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真の日本を考える Part 3
  的确,高升号事件后,日本人开始每一个细节的补救,日本外相青木周藏一再强调“必须制造日本行动的正当性”。

  著名的“末松调查”,就为青木提供了尽可能详细的资料,为日本人向世界传播有利的舆论提供了足够的谈资。日本作为新兴的资本主义国家,已经有了新闻媒体,并与当时国际媒体连接,媒体与官方口径统一。

  想起看过梁实秋《雅舍札记》(文化艺术出版社)中抄入美国打油诗人那施(Ogden Nash)的一首打油诗《日本人》:

  日本人有多么彬彬有礼;

  他总是说,“请原谅,对不起。”

  他爬进了邻居的花园,

  他微笑着说,“我请你多包涵”;

  他鞠躬,很友善地咧嘴一笑,

  把他一群饥饿的家人招来了;

  他咧嘴笑,然后友善地鞠躬;

  “真抱歉,现在这是我的园庭。”

正如这首诗所云,这位“卑怯的攻击者”,由开始的躲闪,在舆论准备之后,开始向英国致以隆礼,“为了目的随时可以将脸面和尊严放下”。拉着英国人一起拜会中国人,向英国人友善地“鞠躬”,向中国人说“真抱歉,现在这是我的园庭”。


確かに、高升号事件後、日本人は一つ一つの事を補って行く。日本の外相青木周蔵は、「日本の行動の正当性をかならず作り上げていく必要がある」とたびたび強調している。

著名な「末松調査」は、青木が提供した詳細な資料からなり、日本人が世界で有利になる資料を提供している。日本は新興資本主義国家として、新聞メディアを持っており、世界のメディアとつながっていた。メディアと官僚の出口は統制されていたのである。

梁实秋著「雅舍札記」(文化艺术出版社)に引用されたアメリカ詩人Ogden Nashの詩「日本人」を思いだした。

日本人は、なんと礼儀正しいのであろう。
彼は、「申し訳ない、すみません」といつも口にする。
彼は、近所の庭に入り込み、
笑顔で「よろしくお願いします」と告げる。
お辞儀をし、口元に優しい微笑みを浮かべる。
飢えた人達を招き入れ
微笑みながら、優しくお辞儀をし
「申し訳ありませんが、これからここは私の庭となりました」と告げる。

本当にこの詩の如く、この「卑怯な攻撃者」は、まず身を隠し、すべての準備が整った後、イギリスに礼を尽くす。「目的の為なら、面子も尊厳も捨て去る」。イギリス人を連れて中国人に挨拶に来る。イギリス人には、丁寧にお辞儀をして、中国人にこう告げる。「すみません。ここはこれから私たちの庭になりました。」

 清国懵然不知,大概还不懂得媒体手段的魅力。而当时清国仅有的几份报纸,都与清国官方没有关系。在上海英租界的《字林西报》,乃英文版,虽然言论自由,但毕竟是英国驻沪领事馆和租界当局的喉舌;《申报》也是英国商人在上海创办,聘用士人为主笔,适合中国读者的品味,高升号沉没后,派有战地记者采访获救者,但除慷慨陈词外,对于远在北京的决策者,究竟能有多少有用的信息,包括《字林西报》以及它的延伸《字林沪报》,实未可考量,相反,误导凿凿。

清国はまったく分かってない。メディアの魅力さえ理解してない。当時の清国にもいくつかの新聞があった。しかしどれも清国の官僚とは無関係である。上海のイギリス租界の「字林西报」英語版であった。言論は自由であったが、イギリス駐上海領事館と租界当局の代弁者であった。「申报」もイギリス商人が上海で創設し、雇われ人が執筆していた。中国読者に合わせ、高升号沈没後、記者を現地に派遣し、救済された者を取材している。しかし、不満を述べた情緒的な話以外、北京の作戦立案者とはなんら関係がない。どれだけ意味があるニュースだったのであろう。「字林西报」やその系統の「字林沪报」などは、検討もされておらず、矛盾や誤導は、はっきりしている。


  北洋舰队的老爷运输船操江号,同时被日军俘获。日本海军将这一“木质”战利品,改成训练舰。《字林沪报》极尽嘲笑讥讽之能:“且系试造之船,一切质料器具皆不甚坚固,中国已弃之勿用,倭人不加详察,蘧欲以我之矛陷我之盾,其想奇矣,顾其计亦左矣”。《申报》讥讽日人,更是不遗余力,“操江既小且旧,为中国所不甚爱惜,倭人得之乃视作珍宝,竟置之兵舰之列,亦可见彼国海军船只,漫无拣择矣,虽多亦奚以为。”“劫得我木质旧式操江递书船,即以为大获胜仗。”而此时正是叶志超讳败言胜之时,所以《申报》兴奋尤佳,继续夸诞,当“平壤败绩之信”来临之际,看日本人以何面目相向祖宗。却不究日本人的节俭品格,更不知这一改成训练舰寓意额外的教育意义,其误导影响极坏。

※古語が多く難しいので、訳しておりません。



  3 .出来谢幕的人是这场悲剧的主角,“高升号事件”的受难者,无论是后台的慈禧和军机处,还是前台的李鸿章和总理衙门,似乎除了“以夷制夷”之术外,别无他法。“以英制日”落空,李鸿章愤愤拿国际公法说事儿,但法术势三位一体,在术尽势弱时,法又奈何?清国充分体验了弱国无外交的滋味。

  所谓运去英雄不自由呀,这个世界正是资本主义勃勃时代,中世纪的封建帝国正处于衰世之际。一个是在世界格局中正在走向没落的国家,而另一个是刚刚破茧重生的新生力量。胜败趋势已定,只是时间问题了。

  清朝主宰的大东亚沉没了,日本明治维新后在清国的沉没中崛起。


3. 開幕の時に挨拶をするのは、悲劇のヒローインである。「高升号事件」の被害者は、影の慈禧、軍機所であったとしても、主役の李鴻章と総理護衛だとしても、「以夷制夷」以外の政策は持ち得なかったのである。「以英制日」は空しく、李鴻章が国際法を持ち出し3者一体を持ち出しても、衰退の時にどんな効果があろうか。清国は弱者の外交的無策を味わうしかしかたがなかった。

英雄は不自由である。これは世界に資本主義があふれている時代、中世の封建帝国衰退の際に似合う。世界の中で没落に向かう国家のそばで、殻を破り新しい力が生まれている。勝敗はすでに定まっており、時間の問題であった。

清朝の大東亜は沈没し、日本の明治維新が、清朝没落に併せて起こっていたのである。

  与清国在大东亚争正统,取代满洲人,继明朝之后的日本新帝国,与西方列强比肩,是日本人的天下观。“征韩”是关键的第一步,日本人一边在“高升号事件”中投石问路,一边进入并控制了朝鲜的局势。相反李鸿章和清国并不真正关心朝鲜属国,他们的注意力全在“以英制日”上。

  而且处于衰运的清朝,一开始就为上升气十足的日本所震慑。

  租用挂有英国商船运兵,用日不落帝国的国旗作保护伞,李鸿章自以为得计,其实早已潜伏了一个“怕”字,“怕”字当头,助长了日本人的嚣张。

  信息不对称、体制不对称、价值取向不对称,更为重要的是实力不对称,只好玩着“师夷长技以制夷”的术道,与长于自己的“夷”周旋,不可不谓心苦。


清国は大東亜の争いで、満州人に変わりに、明朝を受け継いだのは、日本新帝国であった。「西方列強と肩を並べる」、これが日本の天下観である。征韓がその第一歩であり、日本人は、「高升号事件」でかけに出て朝鮮を手中に収めた。対する李鴻章と清国は、朝鮮に真剣に関心を持たなかった。彼らの意識は「以英制日」であったのである。

衰退する清朝、意気揚々の日本の脅威。

英国商船を隠れ蓑にし、兵を運ぼうとした李鴻章、そこには、すでに「恐れ」が隠れている。その恐れが、日本人の野望をさらに助長させたのである。

情報が偏っており、体制も偏っている。価値の方向も偏っており、さらに実力も偏っている。ただ、闇雲に「师夷长技以制夷」がもてあそばれ、自己の「夷」という概念だけを巡らし、苦労を重ねるのである。

  天津海关道盛宣怀给叶志超信,谈到甕臘鲜牙山的兵,几无可调动。“清军看似庞大,并非一支纯粹的国防军,而是同时兼有警察、内卫部队和国防军三种职能。”当七拼八凑的士兵上船后,发现武器和饮食配给既不充分,也非常混乱。

  “高升号事件”,在国内的近代史研究中的地位,仅仅是中日甲午战争的导火索,但最新的学术见解,譬如雪儿通过各种资料的收集对比中,发现“高升号事件”,在世界舞台上,是远比甲午战争更为重要的事件。西方帝国各种势力在远东的角逐,在“高升号事件”中表现得淋漓尽致,在对“高升号事件”的处理结果中,各方都已经看到了中日之战的必然,大东沟海战,只不过是高升号事件的顺理成章的结果。

  雪儿认为这是一场改变世界的战役,“高升号事件”本身已然改变了大东亚的世界格局,从中我们必须承认,一股旧势力在陨落,另一股新力量在升腾。我们必须面对,也必须承认历史趋势的不可扭转。但一直以来,近代史研究,笼罩在单纯的民族主义和爱国主义的惯性情绪中,忽略甚至不愿承认“高升号事件”本身给我们的提示。
}}}
天津税関盛宣怀は、叶志超に連絡を取り朝鮮牙山への増援について話有っている。清軍は、強大である。しかし純粋な国防軍ではない。警察も兼任し、内衛部隊と国防軍の3つの機能を合わせ持っている。あわてふためいて船に乗ったのは良いが、武器と食料が不足し、混乱する有様である。

「高升号事件」の国内近代史研究での位置づけは、日清戦争の導火線というだけではなく、最新の学術見解において雪儿が各種資料の収集中に、世界史における日清戦争をはるかに越える重要な事件であるとしている。西方帝国の極東での競争は、「高升号事件」で極限に達し、「高升号事件」の処理において、日中の戦いは必然的なものとなり、大東溝海戦と拡大する。「高升号事」の結果である。

雪儿は、この戦争が世界の戦争を変えたと考えている。「高升号事件」が大東亜の世界情勢を変え、我々は旧勢力の没落と新興勢力の隆興を認めないわけにはいかない。我々は、真っ正面から歴史の趨勢を受け止め歪めてはいけない。これまでの近代史研究は、単純な民族主義と愛国主義の情緒の中に埋もれ、高升号事件が我々に提示している意味を認めず、見逃しているのである。


つづく






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真の日本を考える Part 2 -- 日清戦争
我々日本人は、日清戦争についてまあり詳しくしらないのではないだろうか。

日清戦争の発端は、'''豊島沖海戦'''である。
中国では、この海戦を「高升号事件」と呼ぶ。

日本では、これを海戦と捉えているのに対し、中国では、事件と捉えているところに、なにか違いがあるのではないだろうか。

Sina のブログに下記のような文書がある。

大清帝国崩溃之始:“高升号事件”

“高升号事件”,在国内的近代史研究中的地位,仅仅是中日甲午战争的导火索,但最新的学术见解,譬如雪儿简思通过各种资料的收集对比中,发现“高升号事件”,在世界舞台上,是远比甲午战争更为重要的事件。
大清帝国崩溃之始:“高升号事件”
■李冬君


「高陞号事件」は、国内の近代史研究では、たんなる日中戦争の発端というだけではなく、最新の学術見解では、雪儿が各種資料収集中に「高陞号事件」は世界史においてたんなる日清戦争という事実以上に重要な事件である事を発見した。それは、大清帝国崩壊のはじまりとしての意味が込められている。

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高升号事件

  1.至少在甲午战争之前,清朝在东亚局势中还是一个举足轻重的大国。西方列强在亚洲殖民活动,还是以清朝帝国为重心,平衡各殖民国和被殖民国的力量。 “高升号事件”打破了大东亚的这种均衡。

  从1868年明治维新之后到1894年,日本的近代化之路已经走了26年之久,日本人目标明确,这前三十来年的功夫,就是与西方列强修正不平等条约,走向世界,进入与世界列强平等的体系内。而韩国则是日本人走出列岛的出口,也是他进入世界的入口。

  清王朝则无心进入近代化的大世界,只想将世界从自己的天下观里驱除出去。

  从1848年开始,喊了将近五十年的师夷长技以制夷,长计也学了,就是治不了夷。结果在“高升号事件”中,日本人如愿以偿,第一个为它发放进入西方列强行列通行证的是英国。

  老牌帝国主义英国,敏锐嗅到日本的青春朝气和野心,也日益感到清国的没落已不足以作为他在东亚殖民利益所能依靠的制衡力量,转而扶植日本,以抗衡俄国在东亚的土地和利益野心。

  在开战前的7月16日,出乎日本意料,英国人竟然痛快地与日本签订了《日英通商航海条约》。

  “条约规定完全废除治外法权等,成为日本同西方列强签订的第一个比较平等的条约。条约签订后,英国外交大臣金伯利向青木周藏祝贺说:‘这条约的性质,对日本来说,比打败清国大军还远为有利。’日本自此实行替英国牵制俄国的远东政策,换来英国对日本的支持和放任。”远在澳大利亚的华人写作者雪儿简思在其最新的研究成果《大东亚的沉没——高升号事件的历史解剖》一书中说。

  无疑,大东亚的沉没,是作者雪儿站在世界主义的立场上,睁眼看晚清帝国的地位及其没落。“高升号事件”涉及到清国以及清国的属国朝鲜、日本、英国、俄国、美国、国、法国等等,英国人在远东的唯利是图、俄国人在东亚的扩张企图、日本人要走向世界主宰亚洲的野心、美国人利益均沾的原则,还有国、法国的参与,这难道还不是一部世界史吗?

  以世界史的眼光看,日本要走向世界的脚步,是谁也拦不住的。因为那是时代的趋势,是进步。晚清帝国就是不想前进,则必然衰亡。这就是历史宏大叙事的框架。也是我们常常追问的为什么日本成功了,而我们失败了?说的准确些,是晚清帝国失败了。

  但是天下不会掉馅饼,日本人要将他们被殖民的代价,抵作进入世界史的学费,除此之外,他们还知道要进入世界史,不仅仅交点学费就够了,还要在任何细微处努力。


高陞号事件

1. 少なくとも日清戦争以前は、清朝はアジアの大国であり、西方列強のアジア植民地運動は、清朝を中心に行われていた。それぞれに植民地国と被植民地国は、均衡を保っていたと言える。「高陞号事件」は、大アジアのそれまでの均衡を壊したのである。

1868年明治維新から1894年まで、日本は近代化路線を走り続け26年が経っていた。日本人の目標は明確で、30年来の努力は、西方列強との不平等条約修正であり、世界列強の組織内に同格国としてはいり込むことであった。韓国は、日本が列島を抜け出し、世界に入り込む入り口だったのである。

清王朝は、近代化の大きな世界に入り込む事を望まず、ただ、自分たちの世界観から世界を追い出そうとしたのである。

1848年から'''师夷长技以制夷(外国の技術をもって、外国を制す)'''の長計もとった。しかし、外国勢力を治める事はできなかった。日本は、高陞号事件で希望の結果を手に入れることとなる。最初に西方列強へのパスポートを渡したのは、イギリスであった。

帝国主義の老舗、イギリスは、日本の活気と野心を鋭く嗅ぎつけた。日増しに衰えを見せる清国から植民地の利益均衡を支配する力を、日本へ移行し、ロシアのアジアへの野心に対抗させようと考えたのである。

7月16日の海戦前、思いもかけず、イギリスは気前よく日本と「日英通商航海条約」を締結した。

条約は、治外法権などを排除し、日本を西方列強と同等に扱い、かなり平等な条約であった。条約締結後イギリスの外交大臣キンバリーは、青木周蔵に祝辞を述べている。「この条約は、日本にとって、清国の大軍を破るより有利である。日本はこれをもってイギリスの代わりロシアの遠東政策を牽制してほしい。イギリスは、日本を支持し放任するであろう。」オーストラリアの華人雪儿は最新の研究結果「大東亜的沈没——高升号事件的歴史解剖」の中でこのように述べている。

  2.一个在总理衙门的记录中被忽视的细节,却在当时的英国驻华公使欧格讷的报告中被重视:

  “我告诉亲王……如果允许我以个人的名义坦言,我要问一下,一旦真的爆发战争,假使中国决定迅速出击,他认为是否有对敌手实行沉重打击的力量。亲王犹豫了数分钟,在环视同僚一周后,咕哝了一声,对他们目前是否能同日本进行成功竞争,表示怀疑。”这样的疑虑态度,对于英国公使以及随之而来的英国决策取向带来的重要影响,但是在总理衙门却浑然不觉,它们在向军机处和皇帝呈递的奏折里,根本没有提到英国驻华公使对清国战胜日本缺乏信心这一重要的外交情报。

  贯于大而化之的总理衙门和李鸿章,依旧热衷于劝说英国联手对付日本。而且游说没有一丝的外交辞令的机智、含蓄与优雅,直奔主题。更为要命的是,他们竟一厢情愿地以为英国人已经被他们的说辞激怒了,肯定会趟这个浑水。英国人评价李鸿章“很善于在日本人侮辱英国一事上做文章”。随后,英国人则一边以太极功夫从容应对清国,一边倾倒在日本对英国“无微不至”的外交游戏中。

  “日本人对自己所做的每一件事,都极其认真;而中国,甚至不能协调自己的左右手来穿针引线。”这是美国历史学家特林·西格雷夫语。


2. ある総理護衛の記録の中に、見逃せない記述がある。当時のイギリス駐華公使Nicholas O'conorの報告でも重要視されている。

私は親王に問うた。もし私の個人見解が許されるのであれば、お伺いしたい。本当に戦争になった場合、中国が出陣を速やかに決定し、敵に対して大きな打撃を与えるだけの攻撃能力が有るのであろうか。親王は数分考えた後、辺りの同僚を見回し、小さな声で言った。日本と競争をする事自体、意味があるのか。こんな煮え切らない態度は、イギリス公使が政策を決定するときに大きな影響を及ぼしたであろう。しかし総理警護は気にもしていなかった。彼らは軍機所や皇帝には、英国駐華公使の清国の日本に対する戦闘的無関心に対する興味に全くふれていなかった。

大胆な総理護衛や李鴻章は、旧態依然としてイギリスと手を組んで日本に対抗しようと考えていた。しかし、外交的な機略、深い考え、優雅さ、目的への思いはひとかけらもなかった。彼らは、自分本位でイギリス人は、彼らの言い訳に怒っていた。すでに泥水に横たわっていたのである。イギリス人は、李鴻章を「日本人がイギリスを屈辱する文章に長けている」と表している。イギリスは、一方で太極的に清国を許容すると同時に、日本のイギリスに対する細やかな外交ゲームに傾倒していくのである。

日本人は、すべての事に大変真面目に取り組む。中国は自分の左右の手をうまく使う事すらできない。」アメリカの歴史学者特林·西格雷夫の言葉である。

つづく






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