終戦後、大人達が手のひらを返したように、アメリカ兵に媚びているのが信じられなかった。
少し前のNHKの番組で、仲代達矢さんが、このような事をいわれておりました。 この話は、仲代さんの話だけではなく、いろいろなところで語られます。 司馬遼太郎さんは、長編歴史小説「花神」で大村益次郎を描き出しております。 勝海舟が、海軍の創始者なら、大村益次郎は日本陸軍、日本近代兵制の創始者といわれます。 司馬さんは、彼を善良で優秀な人間として紹介されておりますが、トムクルーズ・渡辺謙さんが出演された「ラストサムライ」では、悪役でした。まあ、映画ラストサムライは、ストーリーがあまり史実を正確に反映していないようですので、参考にはならないとも思えます。
現在読んでいる子母澤寛著「勝海舟(下)」でも大村益次郎は、あまりいいようには描かれておりません。 この小説は、昭和16年から戦後の21年まで6年余りにわたり書き継がれた大河小説です。 戦時中、時代小説は、きびしい制限を課せられていたようです。 これからご紹介する一節は、かなり最後のほうですので、戦後に書かれたのではないかと思えます。
子母澤寛さんは、勝海舟にこのように言わせます。
大村は今に彰義隊を討って勝つよ、その上、あやつの論でいけあ、将来の日本国はちったあ強くなるだろう。間違うなよ、ほんのちっとだよ、井の中の蛙の強さだが、そ奴が馬鹿にはちょっとわからねえから、それに自惚れて、ついには盲目になり、気が違い、どんな無茶をやりだすか知れねえのだ。その為に、五十年後百年後には元も子もふいにするような事になる。時の勢いというものに乗った薩長が徳川を潰す位の芸当は誰にだってできるんだ。それに驕って、静かに反省することをしなければ、今度あ、日本国が滅亡するよ。
1873(明治6)年に次のような統計があるそうです。
| 皇族28人、華族(旧大名・旧上層公家) | 2829 | | | 士族(旧武士階級) | 154万8568 | | | 卒族(下級武士) | 34万3881 | 以上5.69% | | 平民 | 3110万6514 | 93.41% | | 僧尼 | 21万6995 | | | 旧神職 | 7万6119 | | | その他 | 5738 | 以上0.9% | | 合計 | 3330万0672 | |
新渡戸稲造が書いた「武士道」、戦後ルーズベネディクトが書いた「菊と刀」。 日本人としては、誇り高い気分になりますが、果たして日本は武士の国だったのでしょうか。
明治初期においては、
| 陸軍 | 雄藩の兵力に依存 | 大久保利通 | 薩摩藩 | | 陸軍 | 徴兵によって直轄軍 | 大村益次郎 | 長州藩 | | 海軍 | 志願者を募る | 勝海舟 | 幕府側 |
というような対立が見られます。
海軍は、技術的な必要からでしょうか、政府側の勝海舟がこれにあたっております。 そして、そんなに多くの兵士を必要としなかったため、志願者を募る形で兵士が集められます。 一方陸軍は、薩摩と長州の対立が起こったようです。 どちらかというと、これまでの武士を登用しよう、これまでの伝統を守ろうとした薩摩藩に対し、長州は、完全な改革を主張したようです。つまり、国民皆兵。いままで武士でなかったものも含めて、平民からも広く兵を集める方法です。長州は、農民や町民を中心とした奇兵隊を率いて、第二次幕長戦争に勝利しており、この経験が強く影響したのではないでしょうか。
しかし、その対立も西郷隆盛の下野を機に長州側が有利になります。
最初は、徴兵制度はあまりうまくいかず、雄藩からの武士が登用されたようです。 そして、その実現を見ぬままに大村益次郎は暗殺されます。
しかし、その後をついだ山県有朋が、1874年1月に徴兵令を発布。 同年4月に東京鎮台に初の徴兵による兵卒が入営しました。
これで、お分かりになると思いますが、陸軍の中枢は、長州藩中心の武士、兵隊は、農民や町人などの平民から集められることになったのです。
そして、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法第11条の統帥権で、陸海軍は、天皇直轄の機関になります。
さて、このシステム、江戸時代となにが変わったのでしょうか。
江戸時代は、天皇の下に徳川幕府があり、各藩を取り仕切っていました。 明治維新後は、ある意味長州藩を中心にした雄藩が全国を取り仕切り、藩の境をなくした。 長州藩中心の武士政治を全国規模にしただけという見方もできるように思います。
ただ、違うのは、これまで戦闘集団として、生まれてからずっとお前は、戦うために、死ぬために生まれてきたのだという特殊な教育を受けてきた武士に代わって、農民や商人などがいきなり兵隊にさせられ、武士精神を叩き込まれ、戦争に行かされだしたのです。
私は、これが、日本の明治以降の武士道の普遍化。 つまり大和魂の本質だと思います。
一見、日本人みんなが、大和魂をもっていると勘違いしがちですが、明治から終戦まで日本人みんなが無理な武士道精神を押し付けられてきたのです。農民や商人でもその精神を理解し、そのように勇敢に戦えた人たちもいたでしょう。しかし、多くの一般の平民は、いきなりそんな境地になれるわけがありません。
終戦がきたときに、やっとその押し付けがなくなったのです。 重圧から開放されたのです。
多くの人は、戦争に無理やりつれていかれ、死の恐怖と戦う事を考えると、敗戦でなにが起こってもまだましな気がしたのではないでしょうか。




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