天津駐在員が送る中国エッセイ
***************語学の習得には、その国の歴史、思想、習慣などの知識が必要です。 中国は、私たち日本の隣国であり、世界の大国でもあります。これからいやでもうまくつきあっていく必要があります。一緒に中国の事を勉強しましょう。***************
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Author:shinoper
私たちには理解できない中国人の行動や考え方には、何かの理由があると思います。
それが、歴史の中にあるのか?
社会環境にあるのか?
お互いによい関係を気づくために、理解しあえるようなブログにできたら良いなと思います。



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戦後、態度を変えた日本人
終戦後、大人達が手のひらを返したように、アメリカ兵に媚びているのが信じられなかった。

少し前のNHKの番組で、仲代達矢さんが、このような事をいわれておりました。
この話は、仲代さんの話だけではなく、いろいろなところで語られます。


司馬遼太郎さんは、長編歴史小説「花神」で大村益次郎を描き出しております。
勝海舟が、海軍の創始者なら、大村益次郎は日本陸軍、日本近代兵制の創始者といわれます。
司馬さんは、彼を善良で優秀な人間として紹介されておりますが、トムクルーズ・渡辺謙さんが出演された「ラストサムライ」では、悪役でした。まあ、映画ラストサムライは、ストーリーがあまり史実を正確に反映していないようですので、参考にはならないとも思えます。


現在読んでいる子母澤寛著「勝海舟(下)」でも大村益次郎は、あまりいいようには描かれておりません。
この小説は、昭和16年から戦後の21年まで6年余りにわたり書き継がれた大河小説です。
戦時中、時代小説は、きびしい制限を課せられていたようです。
これからご紹介する一節は、かなり最後のほうですので、戦後に書かれたのではないかと思えます。


子母澤寛さんは、勝海舟にこのように言わせます。

大村は今に彰義隊を討って勝つよ、その上、あやつの論でいけあ、将来の日本国はちったあ強くなるだろう。間違うなよ、ほんのちっとだよ、井の中の蛙の強さだが、そ奴が馬鹿にはちょっとわからねえから、それに自惚れて、ついには盲目になり、気が違い、どんな無茶をやりだすか知れねえのだ。その為に、五十年後百年後には元も子もふいにするような事になる。時の勢いというものに乗った薩長が徳川を潰す位の芸当は誰にだってできるんだ。それに驕って、静かに反省することをしなければ、今度あ、日本国が滅亡するよ。

1873(明治6)年に次のような統計があるそうです。

皇族28人、華族(旧大名・旧上層公家) 2829  
士族(旧武士階級) 154万8568  
卒族(下級武士) 34万3881 以上5.69%
平民 3110万6514 93.41%
僧尼 21万6995  
旧神職 7万6119  
その他 5738 以上0.9%
合計 3330万0672  


新渡戸稲造が書いた「武士道」、戦後ルーズベネディクトが書いた「菊と刀」。
日本人としては、誇り高い気分になりますが、果たして日本は武士の国だったのでしょうか。


明治初期においては、

陸軍 雄藩の兵力に依存 大久保利通 薩摩藩
陸軍 徴兵によって直轄軍 大村益次郎 長州藩
海軍 志願者を募る 勝海舟 幕府側


というような対立が見られます。

海軍は、技術的な必要からでしょうか、政府側の勝海舟がこれにあたっております。
そして、そんなに多くの兵士を必要としなかったため、志願者を募る形で兵士が集められます。


一方陸軍は、薩摩と長州の対立が起こったようです。
どちらかというと、これまでの武士を登用しよう、これまでの伝統を守ろうとした薩摩藩に対し、長州は、完全な改革を主張したようです。つまり、国民皆兵。いままで武士でなかったものも含めて、平民からも広く兵を集める方法です。長州は、農民や町民を中心とした奇兵隊を率いて、第二次幕長戦争に勝利しており、この経験が強く影響したのではないでしょうか。


しかし、その対立も西郷隆盛の下野を機に長州側が有利になります。


最初は、徴兵制度はあまりうまくいかず、雄藩からの武士が登用されたようです。
そして、その実現を見ぬままに大村益次郎は暗殺されます。


しかし、その後をついだ山県有朋が、1874年1月に徴兵令を発布。
同年4月に東京鎮台に初の徴兵による兵卒が入営しました。


これで、お分かりになると思いますが、陸軍の中枢は、長州藩中心の武士、兵隊は、農民や町人などの平民から集められることになったのです。


そして、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法第11条の統帥権で、陸海軍は、天皇直轄の機関になります。


さて、このシステム、江戸時代となにが変わったのでしょうか。


江戸時代は、天皇の下に徳川幕府があり、各藩を取り仕切っていました。
明治維新後は、ある意味長州藩を中心にした雄藩が全国を取り仕切り、藩の境をなくした。
長州藩中心の武士政治を全国規模にしただけという見方もできるように思います。


ただ、違うのは、これまで戦闘集団として、生まれてからずっとお前は、戦うために、死ぬために生まれてきたのだという特殊な教育を受けてきた武士に代わって、農民や商人などがいきなり兵隊にさせられ、武士精神を叩き込まれ、戦争に行かされだしたのです。


私は、これが、日本の明治以降の武士道の普遍化。
つまり大和魂の本質だと思います。


一見、日本人みんなが、大和魂をもっていると勘違いしがちですが、明治から終戦まで日本人みんなが無理な武士道精神を押し付けられてきたのです。農民や商人でもその精神を理解し、そのように勇敢に戦えた人たちもいたでしょう。しかし、多くの一般の平民は、いきなりそんな境地になれるわけがありません。


終戦がきたときに、やっとその押し付けがなくなったのです。
重圧から開放されたのです。


多くの人は、戦争に無理やりつれていかれ、死の恐怖と戦う事を考えると、敗戦でなにが起こってもまだましな気がしたのではないでしょうか。






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日本人の道徳心とは?-「台湾の一校長の中国人を驚かせる講演」を読んで 
台湾の一校長の中国人を驚かせる講演、いかがでしたでしょうか。
いろいろな問題を考えさせてくれた文章であったように思います。

その内、道徳心とは何なのかという想いが私には引っかかりました。
いろいろと考えてみると、道徳心は、3つの要素から為っているのでは無いかと思えます。

まず、目的、なぜ、道徳心が必要なのかという定義です。
次に規範があります。
なにが、良くて何が悪いかという、基準ですね。
そして、最後に、その規範を守らないとどういう悪い事があるか。


この台湾の校長のケースで、考えてみますと

目的:国家の繁栄
規範:私の責任
罰 :国賊となる

儒教で考えてみますと
目的:社会の安定(民衆の救済)
規範:君子である
罰 :人から見下される

仏教(小乗)だと
目的:苦からの解脱
規範:煩悩の消滅
罰 :来世での苦悩

では、日本人の場合は、なにに寄って道徳心が保たれてきたのか?
世間ではないでしょうか。

日本は、古来儒教や仏教を取り入れてきました。
しかし、それは、規範として取り入れたのであって、その目的や罰は儒教的な物でも仏教的なものでも無かったように感じます。日本の道徳心というのは、

目的:世間で生きていく
規範:世間の利害に反しない
罰 :世間からの追放

ということではなかったのかなと思えます。

世間の利害に反しない為の規範として、儒教の教えなり、仏教の教えが利用されてきた。
しかし、その時々により、その教えは都合の良い物が選ばれてきたように感じます。
こう考えると、大変世間というものが、非常に合理的、かつ有効である事がわかります。

国家の繁栄を目的とすると、ナショナリズム的な考え方に陥りやすくなります。
これだけ、国際化が進んだ現在において、自国優先の考え方は危険なきがします。
それは、日本が一番身にしみて経験した事実ではないでしょうか。

儒教や、仏教の考え方は、非常に普遍的でどの民族にも当てはめることが可能ですが、そんな崇高な考え方を一般の人々が持ち続けることは、かなり難しいと思えます。


「お天道様に申し訳ない」
「ご先祖様に申し訳ない」
「世間様に顔向け出来ん」

そういって私たちが、守ってきた物は、世間からの眼であったのではないでしょうか。
自分が生きていく世間からのけ者にされる事は、即自分の生死に関わります。
そういう罰が、人々に強い拘束力を持たせたように思えます。

しかし、一方で「旅の恥はかき捨て」などと言いますが、世間から一歩外にでると、拘束力を失うのです。


現在、日本は、近代化と共に、自由の名の下に、世間を解体してしまいました。
今からまた、これまでの世間を作り直す事は、難しいように思えます。
現代社会に即した新しい道徳(目的、規範、罰)を作れるかどうか、私たち現代人に課せられた課題なのかもしれません。







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子母沢寛著「勝海舟」と吉村昭著「戦艦武蔵」
現在、子母沢寛著「勝海舟」を読み始めております。
少し前に、読んだ吉村昭著「戦艦武蔵」が、なぜ日本を知る資料なのか、腑に落ちませんでしたが、勝海舟をよみだして、納得がいった気がします。

勝海舟が、海軍の走りであり、戦艦武蔵は、その終止符であるようです。
さらに、日本海軍というのが、日本が西洋に対抗する為の近代化を始める切っ掛けであり、また、戦艦武蔵がその流れの終点で有ったとも言えます。私のブログで、何度もご紹介している「文化の純粋培養」も顕著に現れているように思えます。

幕末期に江戸幕府が保有していた軍艦、咸臨丸(かんりんまる)が有りました。
洋式の軍艦としては、観光丸(外輪船)に次ぐ2番艦だったそうですが、洋式のスクリューを装備する船としては初の軍艦だそうです。その船と、戦艦武蔵を手に入る資料で、簡単に比較してみました。

咸臨丸

kanrinmaru

戦艦武蔵

musashi

 咸臨丸 戦艦武蔵
起工 1855年7月オランダのキンデルダイク 1938年 3月29日
進水 1857年3月完成 1940年11月1日
  1944年10月24日戦没
排水量 625t(異説あり) 65,000トン
全長 49.7m 263.0m
全幅 7.3m 38.9m
機関 3本マストの帆/蒸気機関 ロ号艦本缶12基/艦本式タービン4基4軸
 100馬力 150,000馬力
速力 6ノット 27.46ノット
兵装 砲12門 46cm(45口径)3連装3基9門
  15.5cm(60口径)砲3連装2基6門
  12.7cm(40口径)連装高角砲6基12門
  25mm3連装機銃35基105門
  25mm単装機銃25基25門
  13mm連装機銃2基4門
搭載機  零式水上偵察機/零式観測機他,最大7機


わずか、80数年の間に、オランダから作ってもらった軍艦が、終戦時には、自国で武蔵のような軍艦が造れるように為っていたのです。しかし、残念ながら、武蔵ができた時代、すでにアメリカは、戦闘機の時代に入っており、日本は、その流れについて行けなかったようです。

技術の輸入、及びその発展にたけている日本は、すぐにもとの技術を越えるものを作り出してしまいます。
しかし、アメリカのように、対局をみて、それを越える技術を開発するのは、不得手なようです。

日本の国民性がよく表れている事象では、ないでしょうか。






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学生が読むべき50冊
学生が読むべき50冊 定番から異色作まで 川上未映子ら選定

古今東西の名作から大学生の読むべき50冊を選ぶというシンポジウムが東海大学湘南キャンパスで行われた。パネリストは文学部文芸創作学科の教員5人と芥川賞作家の川上未映子。事前に提示されていた150冊以上のなかから公開でセレクト。定番の作品からやや異色のものまで50冊が出そろった。

少し前に、このようなニュースがあった。
聖書が入っているのに、論語がなぜはいってないのか。

参考には、させてもらいますが、かなり納得がいかない50冊である。

= 【日本】 =
万葉集
源氏物語(紫式部) 
平家物語 
徒然草(吉田兼好) 
おくのほそ道(松尾芭蕉) 
歎異抄(唯円/親鸞) 
心中天網島(近松門左衛門) 
山椒大夫・高瀬舟(森鴎外) 
吾輩は猫である(夏目漱石) 
たけくらべ(樋口一葉) 
武蔵野(国木田独歩) 
金色夜叉(尾崎紅葉) 
瘋癲老人日記(谷崎潤一郎) 
病床六尺(正岡子規) 
きりぎりす(太宰治) 
堕落論(坂口安吾) 
遠野物語(柳田國男) 
様々なる意匠(小林秀雄) 
豊饒の海(三島由紀夫) 
富士日記(武田百合子) 
第七官界彷徨(尾崎翠) 
春宵十話(岡潔) 
「いき」の構造(九鬼周造)

= 【海外】 =
紅楼夢(曹雪芹) 
千夜一夜物語 
イリアス(ホメロス) 
聖書(旧訳・新訳) 
ハムレット(シェークスピア) 
嵐ケ丘(エミリー・ブロンテ) 
インドへの道(フォースター) 
フィネガンズ・ウェイク(ジェイムズ・ジョイス) 
ナイン・ストーリーズ(サリンジャー) 
タイタンの妖女(カート・ヴォネガット) 
幸福論(アラン) 
危険な関係(ラクロ) 
感情教育(フローベール) 
赤と黒(スタンダール) 
夜の果ての旅(セリーヌ) 
失われた時を求めて(プルースト) 
ファウスト(ゲーテ) 
資本論(マルクス) 
ブッデンブローク家の人々(トーマス・マン) 
精神分析入門(フロイト) 
変身(カフカ) 
ドン・キホーテ(セルバンテス) 
ゴッホの手紙 
魅せられた旅人(レスコフ) 
白痴(ドストエフスキー) 
カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー) 
戦争と平和(トルストイ)







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文化の継承
我々の文化は、どのように継承されるのでしょうか。

日本人の子供を産まれてすぐ、中国の中国人の元で育てると、中国人になるでしょう。
中国人も日本で日本人に育てられれば、日本人として育つのは間違いないと思います。
ヨーロッパ人でも日本が好きで、日本に長く住んでいる人は、我々よりも日本的である人もおります。
在日中国人で日本で生まれた人は、中国語もしゃべれない人がおられますが、中国の伝統を守っておられる人が多いように思います。

これらの事実がしめすのは、日本人も中国人も欧米の人たちも同じだという事です。

では、なにが我々を日本人、中国人、欧米人としているのかというと、それは、生まれてから受ける体験、聞いた話、読んだ本、見たテレビなど、その環境ではないでしょうか。生きている環境が、日本的な考え方をするから、それを知らず知らずのうちに吸収して自分も日本人になっていくのだと思います。

日本で生まれた在日中国人の人が、中国語も話せないのに、中国的習慣をもっているのは、家族がそういう習慣を保持しているからでありましょう。

我々一人一人の考え方は、遺伝して伝わっているわけではなく、後天的に形成させているのは間違いないと思います。

日本人の大切なもの Part 2の中で、山本七平さんの下記の文章を紹介しました。

あるキリスト教系の大学で、毎年、新入生から「宗教」に関するアンケートをとってきた。そのアンケートの中で、常に最大の比率を占めるのが、「自分は宗教を必要としない。そういうものがなくても生きていける。しかし、だからといって、否定しよいうとは思わない。弱いものや不幸なもの、また老人や女性には必要なものだろうと思う。」という考え方だと言われます。

吉田松陰は、獄中から妹に「自分はそういうもの(法華経)は、必要としない。しかしおまえ達弱い女が、それを読む事は否定も非難もしない。」と書き送っているそうです。

つまり、こういう考え方は、日本人の伝統的考え方なのですが、言っている本人は、その認識がなく、なぜ自分がそう考えるのか全く、把握できていない。自分の考え方を歴史的に把握し直せてない。


我々は、自分がなぜそう考えるのか、はっきりと把握できない場合、それがまるで自分が生み出した考え方であるかのような錯覚に陥ります。しかし、私たちの考えることのほとんどは、生まれてからこれまでに吸収した考え方であって、それを組み合わせて、新しい時代の要素を付け加えているにすぎないのです。

しかし、実際には、自分の考え方を把握するというのは、大変難しい作業なのです。

「男女七歳にして席を同じくせず」という言葉。吉川幸次郎先生によりますと『礼記』の「内則」つまり育児編にある言葉だそうです。そして、そこにかかれている意味は「子育ては7歳までは同じ座布団でもいいが、7歳になったら食器も座布団も別にしたほうがいい」という意味だそうです。

その言葉が、日本に入ってくると厳しく変化し「7歳にもなれば、男女の別を明らかにし、みだりに交際してはならないということ。 」となります。一緒にいてもいけないというような厳しい話に変わってしまいます。

山本七平さんは、異文化が接触するとき「掘り起こし共鳴現象」が起こると言われております。
つまり、入ってきた考え方に対し、もともと存在する似たような考え方が共鳴して、自分たちに都合のいい考え方をつくるという事です。

少し前に、紹介した新聞記事「日本震后校舍縁何不倒? 」にもそれがうかがえるように思います。この文章、間違いではありませんし、確かに日本のいいところでありますが、日本人の皆さんが読まれた場合、なんか恥ずかしいような気持ちになりますね。それは、日本のいいところだけを抜き出しており、中国人に都合のいいように変化しているからではないでしょうか。決してそんなに純粋な話でもないというのが、我々にはわかるのです。

これはまた、吉川幸次郎先生が言われる日本の文化「純粋培養」でも説明が付きます。これらの現象は、日本特有の現象ではなく、どこの国でも起こりえる現象なのです。ただ、文化の流れが、これまでずっと「海外から日本へ」だったので、日本固有の現象のように思えるのだと思います。

少し話がずれましたが、つまり何が言いたいかと言いますと、私達ここの人間が形成されて行く段階で得る知識というものは、歴史的ないろいろな変遷を経てきており、その変遷を正しく理解しないと迷信のように、「そうしないといけない」と知っているだけで、「なぜそうしないといけないのか」わからずに、「どんな状況でも本当にそうしなければいけないのか」判断する事ができなくなるのです。そして、判断しなくてはならない事にも気づかなくなるのです。

それぞれの国の文化は、その多くが口頭で伝えられます。そして、その本来の意味も知らずに語り継がれて行くことが多いのです。その文化や知識を正しく伝えるためには、ここの人々の正しい理解が必要です。私たち一人一人が文化の中継者なのです。自分より前の時代に生きた人が残してくれた智慧を知識を、そして文化を正しく理解し、後世に伝えていく。そのために私たちは、しっかりと自分自身を見つめなおす必要があるように思います。






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