天津駐在員が送る中国エッセイ
***************語学の習得には、その国の歴史、思想、習慣などの知識が必要です。 中国は、私たち日本の隣国であり、世界の大国でもあります。これからいやでもうまくつきあっていく必要があります。一緒に中国の事を勉強しましょう。***************
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Author:shinoper
私たちには理解できない中国人の行動や考え方には、何かの理由があると思います。
それが、歴史の中にあるのか?
社会環境にあるのか?
お互いによい関係を気づくために、理解しあえるようなブログにできたら良いなと思います。



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論理的思考と言語
中国で仕事をしていて、よく疑問に感じるのが、中国人から聞く「平等」という言葉です。この言葉を中国人から聞くたびに、社会主義がうまくいかなかった原因は「平等という概念をしっかりと規定できなかった事ではないだろうか」という思いにかられます。

一見、非常に崇高な言葉に思える「平等」ですが、この言葉を裏返すと「嫉妬」という言葉に成るのではないかと思うほど、平等という言葉の裏側には、常に嫉妬心がつきまとっているように思えます。

何をもって平等を測るのか、という問題を無視して、平等という言葉だけが一人歩きし、社会主義思想の基礎をなしているように思えます。私たち、資本主義と称している国家の人々も他人ごとではありません。資本主義にも似たような「自由」という大変曖昧で、その思想の基礎を為す概念が存在するのですから。

以前書いた言語と思考の中で、エドワード・サピアの下記の文書を紹介しました。

人間は客観的な世界にだけ住んでいるのでもないし、また、普通の意味での社会的な活動の世界にのみ住んでいるのでもない。人間は自分たちの社会にとって表現の手段となっているある特定の言語に多く支配されているのである。基本的に言語を使うことなく現実に適応することが可能であると考えたり、言語は伝達とか反省の特定の問題を解くための偶然の手段にすぎないと思ったりするのは、全く幻想である。事実は「現実の社会」というものは、多くの程度にまで、その集団の言語習慣の上に無意識に形作られているのである。われわれが聞いたり、見たり、或いは経験したりするのにはだいたい一定のやり方があるが、これはわれわれ共同体の言語習慣がある種の解釈を前もって選択させるからである。

私たちの思考は、明らかに、私たちが使う言語によって、制限され、時には歪められてさえいるのです。

沢田允茂氏は、「考え方の論理」の中で人生の目的について下記のように書かれております。

「目的」とは、私達が「そうしたい」事なのです。
かならずそこへ行き着かなければならないような到達点があるならば、だれも目的など気にしない。
到達点が気になるのは、そこが果たして自分が望んでいるところかどうかを区別することができるから気になるのです。
そして、そうしたいのは、それが私にとって良いことだから、そうしたいのです。
しかし、なにが自分にとって良いことなのかは、私たちが何かやり始めた後でわかって来るものです。
何もやらなければ、何が自分にとって良いのかわかりません。

何かを始めると、自分のやりたいことが次第にはっきりとした形を取ってきます。
そして、それが貴方のやりたいことであり、人生の目的なのです。

何もしないで「人生の目的がある。」とか「目的を知る。」と考えるのは、そういう言い方がひとりでに、あななの考え方を曲げてしまっているのです。


「資本主義」「自由」「平等」などは、現実には存在しません。
あくまでも私たちの想像の産物なのです。
そして、その意味がまた、大変曖昧で、一人一人の認識もかなり違っていると思います。
さらに、「自由」「平等」という概念が、現実に存在しえるのかさえ疑わしいのです。

= 「世界人権宣言」第29条には、 =

すべて人は、その人格の自由かつ完全な発展がその中にあってのみ可能である社会に対して義務を負う。
すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。
これらの権利及び自由は、いかなる場合にも、国際連合の目的及び原則に反して行使してはならない。


と書かれているそうですが、ここで使われている言葉

自由、完全な発展、社会に対する義務、権利、尊重、公の秩序、一般の福祉など

を具体的に説明できる人がいるでしょうか。

このような曖昧な言語しか持ってない我々に、論理的思考ができる訳がないように思えます。
数学では、記号を使って物事を説明しますが、そうしないと論理的な思考ができないからなのではないでしょうか。

しかし、数学の記号を使っては、会話が成り立たないのもまた事実なのです。
私たちが現在よりもさらに進化した社会を作るためには、論理的な思考をささえる言語が必要なのかもしれません。





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考えるという事
私たちが
= 考える =
とい言葉を使う場合、ほとんどが編集するという意味に近いのではないでしょうか。そしてその評価は、
== どれだけ妥当性があるか ==
そしてその上に、
== いかに斬新であるのか ==
という事だけだと思います。欲を言えば
== それが美しく響いて欲しい ==
とは思います。みんながその意見を聞いて、読んで、「それはそうだな」とまず納得してくれないといけない。だからといって、誰もが知っている事では、おもしろくも何ともない。

それが、マスメディアの世界に入ると、脚色という事になる。メディアというのは、商業ベースの分野ですから、正しいとか妥当であるかと言うことよりも、売れるか売れないかが重要になります。内容は、くだらなくても売れればそれで目的は達成されます。芸能人の暴露本などが極端な例ではないでしょうか。

私たちの生活は、あまりかわりありませんし、知り得る情報も同じようなものです。しかし、同じ情報を手にしてそれをどのように編集するのか、どのように見せるのか、そこが腕の見せ所のように思います。

ノーベル賞をもらうような考え方や真理を見つける事を「考える」という事だと思っているのは、勘違いで、それは、発見、発明と言った方が誤解がないように感じます。


1863年 リンカーンのゲティスバーグ演説

八十と七年前,私たちの父祖は,この大陸に新たなる国家を打ち立てました.自由を原点として懐胎され,人はみな平等であるとの命題に捧げられた国家です.
今私たちは,たいへんな内戦の渦中にあります.その国家が,あるいはそのような原点をもって懐胎され,そのような命題に捧げられた国家一般が,長らえることができるかどうかが試されているのです.私たちはその戦争の激戦地に集っています.その国家が生き長らえるためにこの地で命をなげうった人々の最後の安息の地として,その戦場の一角を捧げるために集まりました.それは私たちにとって,全くもってふさわしく,また理にかなった行ないであります.
しかし,より大きな意味では,私たちがこの土地を捧げることはできません.この土地を聖別したり,神に捧げたりすることはできません.この地で奮闘した勇敢な人々こそが,生きている方々も戦死した方々も含め,すでにこの地を聖別しているのです.それに付け加えたり,差し引いたりすることは私たちの貧弱な力の及ぶところではないのです.私たちがここで話すことは世界の耳目を引くこともなく,やがて忘れ去られることでしょう.しかし,彼らがこの地でなしたことは,永遠に世界の記憶に留められるのです.この地で戦った人々がこれまで気高くも進めてきた未完の仕事を完遂するために,私たち生きている者は,むしろ自らの身を捧げるべきなのです.
私たちの前には大いなる責務が残されています.名誉ある戦死者たちが最後まで完全に身を捧げた大義のために,私たちも一層の献身をもってあたること.これらの戦死者たちの死を無駄にしないと高らかに決意すること.神の導きのもと,この国に自由の新たなる誕生をもたらすこと.そして,人民の,人民による,人民のための政府をこの地上から絶やさないことこそが,私たちが身を捧げるべき大いなる責務なのです.


このリンカーンの有名な一節
= 人民の人民による人民のための政府 =
=== the government of the people, by the people, and for the people ===

このリンカーンの「人民の、…」も彼が考えた言葉ではありません。
ウィクリフ(1782〜1852)が訳した聖書の序言にその言葉があります。
さらにそれを引用したパーカー(1810〜1860)という人がいます。
しかし、だからといってこの演説が考えてない文章だとは、決して言えないわけです。

いかにその情況に有った文章を、いろいろな所から情報を拾い集め編集してどのように披露するのか、その過程、技術を「考える」というのではないのでしょうか。





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エッセイ
「天津」という文字で検索すると結構ヒットが少ない!
そこに「駐在員」を入れて検索すると、ほぼヒット無し。

私は、にんまり (^o^)

後は、ゴロ合わせで、「ビジネスエッセイ」と何気なく決まり。

自分でも、全くビジネスに関係ない事をかいているので、すこし、このタイトルに引け目があるのですが、ビジネスを外すと、どうもゴロ合わせが良くない。何か物足りない感じがするので、そのまま、使ってます。m(_ _)m

さらに、最近になって、自分で付けた「エッセイ」という言葉が気になり出しました。

エッセイ??
なんだろう?

何となく分かっていたつもりだったのですが、よくよく考えると、よく分からない。

そこでネットで、調べてみると、英語では、小論文という意味があるらしい。
さすが、欧米の考えることは、味気ない。

日本では、随筆という意味。
しかし、随筆と言われるとこれまた、意味がよく分からない。

随筆とは、経験したり、本で読んだことなどを、自分の意見を交えて、意のままに書く感想文という意味のようです。

ホッ!良かった。
ブログに書いている内容とそんなにずれてない。

と安心しました。


しかし!

エッセイは、読む人が書いてあることを想像で来るように具体的に書く
読者が感じ取る行間を残しておく

など、奥が深そうです。







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歴史の勉強
私は、学校で歴史の時間が大変嫌いでした。
無意味に年号を覚え、テストでいかに正確にたくさんの年号を書けるかを競争するのがばかばかしくて仕方がありませんでした。

しかし、社会にでて、中国に駐在し、いろいろな社会問題を考えるようになると歴史が大変重要であると事に気づきました。
そして、いろいろな国の歴史とその年号が大きな意味を持ち、深く関わっていることがわかるようになりました。
まあ、それにしても暗号を暗記しておかなければ成らない必要性は感じませんが....

今は、どうか分かりませんが、私が教育を受けていた頃は、歴史というのは、昔から順次現代に向かって説明されています。
しかし、そういう風に勉強するのは、全く意味がないような気がします。

以前、ラストサムライの最後の台詞を紹介しました。

We can not forget who we are...
or where we come from.

この言葉は、私に大変感動を覚えさせたと同時に、歴史に対する認識もかえてくれました。

自分自身を理解する為には、自分がどのようにして形成されていったのかを知る必要があるのです。
そして、誇らしく生きるためにも自分が形成されるまでにどのような事が起こったのかを知る必要があると思います。

なぜ私は、日本語を話しているのか?
なぜ、中国人と違った考えかをするのか?
家に仏壇があるのか?
キリスト教徒ではないのか?
日本は、なぜ戦争をしたのか?
中国の漢字と日本の漢字が、なぜ似ているのか?


そして、それに対する答えが歴史なのです。

歴史は、縄文時代から順番に勉強するものではなく、現代の社会問題から、今の自分自身の問題からさかのぼって勉強していくものではないのかな?
と感じます。






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中国を見る視点
「中国ってなんてひどい国なんだろう!」
って思われてい方も多いのではないでしょうか?

北京オリンピックを控えているのに、大丈夫なのか?というのが、多くの日本人の感想だと思います。

ここ最近の報道を見ておりますと、食品及び薬品の安全の問題、腐敗の問題、著作権の問題等、ひっきりなしに、中国のひどい報道が続いております。

確かに、間違っている事を報道している訳ではないと思いますが、それが中国の一面で有ることに私たちは、気づく必要があると思うのです。

現在、中国の悪いところをかき立てると、みんなが興味をもつので、報道関係者は、ことさらに大げさにかき立てるという商業主義的な一面が、日本の報道にはある気がして成りません。

数日前、在日中国人のwhyさんという方のブログに目を奪われました。
そこには、彼女が8年ぶりに中国に帰郷したと書いてありました。

そして、そのブログには、久しぶりに故郷に帰った人からあふれ出る感情が滲みでていました。

私も九州で生まれ育ち、18才から故郷を離れて暮らしておりますが、何年かぶりに故郷に帰ると体が痺れるような、感情におそわれます。

友達と遠回りして帰った小道
夏になると、みんなで泳いだ小川
中学校の裏手にある山道
田んぼの畦に咲く名も知らぬ草花
胸を締め付けられるような夕焼け

そんな感情を、whyさんも感じたのでしょう。
その文章から伝わってくる思いは、なんとも言い難い、切ない思いに感じられました。

私の文章能力では、私の感情を、皆さんに伝えきれないのが残念でしかたがありませんが、下記に、whyさんの私へのコメントを流用させていただき、少しでも同じ気持ちを持っていただけたらと思います。

Shinoperさん 本当に涙が出るほど懐かしかったものです。
マスメディアであれだけ喧伝されているので、どうなっているんだろうと
不安で一杯でしたが、帰ってみれば、騒がれるほどのことはないと分かり、安心しました。
確かに食の安全や、貧富の差のみならず、いろいろな社会問題はまだ山積している
と思いますが、しかし、久しぶりに帰国して、確実に改善された部分が真っ先に目に
付いたことが心から嬉しかったです。
小さな一歩かもしれませんが、少しずつ良くなっていけばいいです。希望が持てました。



日本は、幸運な事に、アジアでは一番に工業化に成功した国家です。
他のアジアの国々を私たち日本人の視点で見ると劣って見えるのは仕方がないことだと思います。

しかし、そのような見方が果たして正しいのでしょうか?
whyさんの見方の方が正しいのではないのでしょうか?

それぞれに国にそれぞれの歴史があり、その流れの中でそれぞれの国家が、現在が有ることを忘れては、誤った見方をしてしまい、その国の人たちの想いと、ずれた感覚のまま、お互いに理解し合えないのでは、ないかと不安に感じました。







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