天津駐在員が送る中国エッセイ
***************語学の習得には、その国の歴史、思想、習慣などの知識が必要です。 中国は、私たち日本の隣国であり、世界の大国でもあります。これからいやでもうまくつきあっていく必要があります。一緒に中国の事を勉強しましょう。***************
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Author:shinoper
私たちには理解できない中国人の行動や考え方には、何かの理由があると思います。
それが、歴史の中にあるのか?
社会環境にあるのか?
お互いによい関係を気づくために、理解しあえるようなブログにできたら良いなと思います。



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死者をも許さない思想
20世紀が終わりを迎えていた頃、私は香港にいました。丁度香港が中国に返還された時期です。香港に住んでいるといっても香港での仕事は、中国からの貨物を日本本社へ供給する事。実際に、製品を生産しているのは、中国広東省の東完という所にある台湾人の工場数件です。現在、広東省東完は、大変整備された街になっているという話を聞きます。しかし、私がいた頃は、開発が始まったばかりで、農家の中に工場が立ち始めた状態で昔ながらの貧相な町並みでした。深川から近くまでは、マイクロバスがありましたが、バスをおりると、まだタクシーがなく、おっさんが運転するオートバイの後ろに2人乗りをして、工場まで行きました。

それらの台湾系工場は、高い壁に囲まれ、壁の上には、ガラスの破片が埋め込んであったり、有刺鉄線が張ってあったりしました。夜になると工場の敷地に、獰猛なドーベルマンが数匹放たれていました。間違って侵入しようものなら間違いなく、かみ殺されるでしょう。

全ての工場ではありませんが、かなりの工場がそのような感じだったと思います。台湾の経営者達は、「治安が悪くいので、こうしてないと寝れない」と言ってました。工員が夜逃げしないようにというのも一つの理由だったようです。決して、逃げ出したくなるようなひどい労働をさせているという事ではなく、工員は、給料のいいところがあると、急に同郷の友達と別の工場に移ってしまう恐れがあり、急に工員がいなくなると工場の生産に支障がでるというのが、その理由だったと思います。

中国の伝統建築 「四合院」は、四方を壁にして、外部からの侵入者を防ぎます。万里の長城は、北方民族の侵入を防ぐためにどれだけの労力とお金がかかったのか見当もつきません。総延長が、6,352kmもあるのです。日本の北海道から沖縄までが3000Kmで有ることを考えるとそのすごさがわかります。

日本人に理解できない中国人の行動の原因の一つに、治安の不安定さがあります。中国がなぜこれほどまでにして壁を作りたがるのか。それが、私たち日本人との安全に対する価値観の違いを物語っているように感じます。

先日、掲載した東郭氏と狼という話。日本人には、子供に何故このようなちょっと醜い話を教えるのかが理解できないと思います。日本の童話は、心温まる話が多いのですが、中国ではそんなきれい事ばかりも言ってられないのでしょう。現実問題として悪い奴がたくさんいる。だから、子供にも、それをちゃんと教えてないと心配なのだと思います。

日本もグローバル化が進むに当たり、このような心構えも必要になってくるのではないでしょうか。


今、林思雲さんがネット上に書かれた汪精衛の話を訳して要点を掲載し続けております。彼は中国で、売国奴として亡なった後も、批判の対象となっております。この感覚は、日本人には、理解出来ない感覚だと思います。実際に、私にも未だに理解できておりません。多分、一生理解できないのではないでしょうか。感情的には理解できなくても頭で何とか理解しないと、お互いに分かり合えることもないのだろうと私は思います。






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東郭氏と狼
中国の童話に[東郭先生と狼]という話があります。

晋国官僚趙簡子が山にイノシシ狩りをしにきておりました。その途中一匹のオオカミが人間のように立って、吠えながら道をふさいでいるのに出くわします。趙簡子は、すぐに弓を引き、そのオオカミの前足を射抜きます。そのオオカミはあわてて逃げ出します。趙簡子もムッとして追いかけます。

その時、東郭氏が丁度大きい書簡袋を載せたロバのそばで四方を眺めておりました。彼は、中山国に仕官の口を探しに行く途中道に迷ったのです。どの道を行こうか分かれ道で迷っている時、一匹のオオカミが突然姿を現しました。オオカミは、彼に悲しそうに言います。「今私は、困っております。私を貴方の袋の中にかくまってください。命をお助け頂ければ、かならず、そのご恩に報います。」

趙簡子の隊が土煙を巻いて近づいて来ています。東郭氏は恐る恐るオオカミに「偉い人が追っているオオカミを隠して、なんで私が権力者を怒らせなければいけないのでしょう。しかし、墨家兼愛の思想が、貴方の死を受け入れさせない。仕方がないので、袋の中に隠れなさい。」と言いました。
彼は、書簡を袋から取りだし、袋の中にオオカミを入れようとします。オオカミの爪がたれている肉を傷つけないよう、体がしっぽを押さえないように三度入れ直しましたが、どうもうまく入りません。あわてて、オオカミの頭をしっぽの方に曲げて四つ足を縛るとやっとうまく袋に入りました。

東郭氏は、オオカミ入った袋をロバの背に乗せました。しばらくすると、趙簡子が現れました。趙簡子は、彼からオオカミの消息が聞けないので、怒って車の腕木をへし折り「もし隠し事をすると、このようになるぞ!」と脅かしました。東郭氏は「私は、愚か者ですが、さすがに狼は分かります。こう道が入り組んでいると慣れた羊でも道に迷います。ここの道で私はすでに迷子になっております。なれないオオカミならなおさらでしょう。」趙簡子は、この話でやっと向きを変えて、行ってしまいました。

馬のいななきが遠く去ると、オオカミは袋の中からいいます。「ありがとうございました。おかげで助かりました。私を袋から出してお礼を言わせてください。」しかし、オオカミは、袋からでると態度を豹変させます。「貴方のおかげで助かりました。今、私はどうしようもなくお腹が減っています。貴方を食べさせてもらえませんか。」そう言うやいなや、牙をむき、爪を出して向かってきました。東郭氏は、あわてて、ロバに隠れ、ぐるぐる回り出しだしました。

太陽が沈みかけた頃、東郭氏は、暗くなってオオカミの群が出てくるのを恐れ、こう言います。「民間の作法によって、決めたらどうでしょう。もし三人の老人が、あなたが私を食べることが当然だと言えば、私はあなたに食われましょう。」オオカミは喜んで承諾します。通行人はもはやなく、そこでオオカミは彼を追い詰めて杏の樹に聞かせました。老いた杏の樹は言います。「人がしてくれたのは、私の種を植えただけ、20年間その一家は私の実を食べ、その実を売ってお金を儲けた。私は、大変貢献した。それにもかかわらず、私が年を取ると、大工に私を売ろうとしている。貴方がオオカミししてあげた事は大した事ではない。なんで貴方を食べてはいけないのでしょう。」、その時丁度雌の牛がいたので、オオカミは、東郭氏を追い詰めて牛に聞かせます。すると、その牛は言います。「当初、私は古い農耕用の小刀と物物交換され、車を轢かされ、他を耕し、一家を養ってきた。しかし、年を取ると、その一家は、私を殺し、私の肉と皮から利益を得ようとしている。貴方がオオカミしたことは、大した事ではない。なんで貴方を食べてはいけないのか。」

丁度、その時、1人の杖を持った老人が現れました。東郭氏は急いで、その老人に事情を説明しました。老人は、ため息をついてオオカミに言います。「貴方は、鬼畜にも父子の情があるのを知っているでしょう。なぜ、恩人に背かなければいけないのか。」オオカミは狡猾に言います。「彼は、縄で私の手足を縛り、本で私の体を押さえつけ、明らかに私を殺そうと、空気の通らない袋の中に押し込めたのです。なんで、こんな奴を食ってはいけないのですか。」老人は、答えて言います。「どちらもそれぞれに理が通っている。なるほど、難しい選択だ。俗に”眼見為実”という言葉がある。東郭氏がもう一度貴方を袋に入れて、私がその事実を確認することができれば、貴方が彼を食べる十分な理由になるのだが。」オオカミは喜び勇んで、老人の言うことを聞きました。しかし、手足を縛られて、袋に入れられた後、老人と東郭氏の剣がまっているとは思いもよりませんでした。


※話が長くなるので、先にこの物語を掲載しました。






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日本人論がはやる背景 Part 4
時間がある方は、[ 最初から]どうぞ!

=== 不確定自我の損得 ===

民族の同一化の不確定性は、日本人論が日本ではやるという事で表現されるだけでなく、他の方面にでも表現される。

自我の不確定性は、よく安全化の欠乏をともなう。それは、焦りを生み出します。日本人論がはやるのは、日本人自我の同一化での文化的焦りのようにうつります。日本は、古代中国に対して自分の位置を決めておりました。近代日本は西洋国家を基準にし、「脱亜入欧」の道を歩き始めたのです。この変化は、日本をもともと中国システムの端から西欧システムの端へと変えました。近年日本経済は低迷を続けておりますが、中国とその他のアジア国家は急速に発展を始めております。日本は、アジア復帰のスローガンを口にするようになりました。<国家の品格>の著者は「脱欧帰亜」派といってもいいと思います。しかし、まだ、一部の人(政治家の阿部、麻生など)は、西側との価値観の共有を強調します。古い「脱亜入欧」論の刷新と言っていいと思います。この2種類のはっきり分かれた観点には、少なからず追随者がおります。実際の情況は、日本は完全に「入欧」でもありませんし、完全な「帰亜」でもありません。これまでもずっと、それらの端に位置しているのです。当然、どんな国家や民族でも有る時期、他国若しくは他民族を対象として自分の位置を決め自分の地位を変える事はあります。しかし、日本のように自分の位置に敏感ではありません。定位困惑する国家は、そんなに多くありませ。いつも端に位置する日本は、人に遅れるのを恐れているのです。その位置を奪われ、孤立する事を恐れているのです。日本は、西側国家から捨てられるのを心配し、アジアで孤立する事をも心配します。自我同化の不確定性は、すべて悪いという訳ではありません。個人についていうと、自我の不確定性は常に機敏性をもたらし、環境に対応する能力を与えます。なぜなら、一人の自我が、明晰でなければないほど、人は柔軟になり、自分を変えやすくなり、新しいものを受け入れやすくなる。集団においても同じ事が起こります。集団自我の不確定性は、他の人の評価を気にし、人の後ろに隠れ、他人の嘲笑を恐れ、通常以上の力で自分を変え、人に追いつき、追い越します。日本人は、外部世界に極端に敏感です。強烈な好奇心を持ち、日本人は、まるで高性能のレーダーのように、世界の情勢に反応します。いつでも自分の行為を調整する準備があり、最高の対応能力を示します。これも日本が近代で急速に発展した重要な原因だと思います。

この点、日本外交は主体性を書いております。現在日本は、アメリカとアジアの外交の平衡を失っております。日本は、アメリカに服従しており、何でも従います。日本の外交官達は、外交成果を求めていると言いますが、アメリカで不満が生まれない事を優先して考えていると言ったほうが正しいと思えます。どちらにしても全てをアメリカとの同一化に集中して努力しています。日本人の中には、「日本はアメリカの51番目の州になっている」と風刺する人までいます。実際、歴史上最強の戦略的同盟は、近代日本の外交の特徴となっております。

しかし、一方、強大でない国家に対しては、ある種の優越感があり、それらの国の感情を、軽視したり無視したりします。例えば日本は、中国や韓国などのアジア国家の前では、別の自我を見せます。日本のこの種の表現は、よく我々を困惑させます。しかし、日本民族の自我の同一性からみると、アメリカ(西洋)の前で見せる劣等感の自我と、アジア国家の前でみせる優越感の自我は、どちらも民族同一の不確定性、及びそれがもたらす安全感の欠如から起こる表現なのです。なぜ冷戦が終わり、昔の同盟がすでに意味を失っているのに、アメリカとの同盟が弱くならずに、さらに強く結びついている事を、そして他のアジア国家(特に中国、韓国、北朝鮮)の関係が変わらず良くないのを説明しております。昔の意識形態「陣営」は、存在しません。各国が主体的に独立して直接国際事務を処理できるのに、主体性のない外交をしている日本にとっては、世界が変数に充満しており厳粛にかわっているのです。強大なアメリカに捨てられるのを恐れているのです。しかし、そのようにすればするほど、アジアの隣国とは疎遠になり、アジアでますます孤立する事になるでしょう。

アメリカの学者 Huntington は、書籍「私は誰?」の中で、アメリカ人の民族同一化問題を取り上げております。世界中で国家内の民族多元化、グローバル化は、だんだん伝統国家の同一化に取って変わりつつあり、特に先進国では、国家の同一化が危機状態になっております。「我々とは?」という問題は、単に日本人が直面してる問題ではありません。しかし、肯定できるのは、この問題は日本人にとって、大変大きな不確定性と独自性をもっており、「日本人とは?」という問題は、今後も日本人にとって、もっとも議論が盛んになる問題の一つでありつづけるでしょう。





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日本人論がはやる背景 Part 3
=== 日本人の自己表現観 ===

学術研究的角度から見て、日本人論と、日本の独特の地理と文化は相関関係がありそうです。偶然の一致と言ってもいいかもしれません。一つの民族の特性を大まかに捕まえようとした場合、学術上は民族性の研究に属します。文化人類学(「文化と人格」学派)の重要な領域です。一つの民族の性格を概括するのは、方法論上、概括の対象が単一である必要があります。あまり複雑では、把握できません。ゆえに、初期の民族性の研究は、主に高度な同質性をもった単純な社会に限られておりました。特殊な地理条件を持っている為に、日本は、ずっと昔から他民族との本当の交流が希でした。その文化は、そうとう高い同質性を持ち、世界史上、文字を持つ民族では大変希な現象です。この意義において、日本は、文字社会中の単純社会と言えます。この点日本は、文字保有民族特性を把握する為の絶好のサンプルと言えます。民族性研究において、日本人は、もっともわかりやすいサンプルと言えるのです。第二次世界大戦後、文化と人格にかんする研究で成果を上げたのは、日本においてです。研究の角度からみると、「日本人とは?」という説明は、「インド人とは?」「中国人とは?」「アメリカ人とは?」という問題と比較すると、操作が容易です。後者の研究は、もっと複雑な地理、民族の文化要素を含むからです。

文化人類学中の心理学派は、日本民族性の研究において、なぜ日本人は熱心に「日本人とは?」という問題を探求するのかという問題を根拠として説明しております。この学派は、日本人の自我の認識モデルの研究で、日本人が自我認識において文化特性有する事を発見しております。しかし、昔のこの種の研究は、フロイトの影響が強く、幼年期の経験を重視しすぎます。その大部分を子供の訓練を分析する事に費やし西側中心論の考え方に傾倒してしまい、マイナス面の結論に達する事が多くなります。例えば、多くの研究が日本人の人格は、'''強迫性精神官能症'''の特徴がある事を指摘します。彼らは、また日本人の人格は、集団主義で、西洋の人格は、個人主義だとも言います。日本人が自我の考え方にかけているというのです。ベネディクトは、'''日本は、恥の文化、西洋は罪の文化'''等という説明しております。現在は、このような研究方法には、疑いがもたれております。結論自体が問題になっているのです。日本人に、自我があるのか、自我の定義がカギになります。多くの学者達が自我という概念を使用しますが、一種の生物体としての個人を強調しての自我を定義しており、西側の個人社会、個人主義文化と密接な関係があります。それ自体が、往々にして文化的産物なのです。日本は、個人社会ではありません。日本人の自我は、独特な形式をもっており、この種の自我は独立的ではなく、はっきりしません。その境界は、主に有機体を基礎とした個人の形態をとらずに、他人との関係で決定されます。自・他協調性の自我です。個人と団体が融合している自我なのです。これは、正常とか、異常というとではなく、成熟しているかどうかの問題です。自我の認識モデル文化の違いなのです。

日本語の特殊な表現、つまり日本人の自我を認識する特徴をもちいて説明することができます。日本語は、いろいろな情況で主語を省略することができます。人称を現さなくていいのです。話をする人は、相手との関係を、例えば身分や地位などを動詞(特に日本語トクトクの授受動詞)の語尾の変化で、明確に判断できます。日本人の自我は、実体ではなく、他者との関係の上にできあがっているもので、その都度変化するのです。

個人と集団の違い、我と他者の違いの間には、明晰な限界はありません。日本人の自我認識は、その意味をよく含んでおります。「私とは?」この問題は日本人にとって、大変不明確なものなのです。このような自我認識モデルでは、個人の行為は環境を影響され、他者の評価によってのみ成立するのです。当然個人自我の認識と民族自我の認識は、全く同じではありません。しかし、二者の間には、高度な関係性が認められます。古代のギリシャの学者が「国家も人」と論断しているように、ベネディクトが「文化は、大まかな人格である」と言っているように。二者の高度な関係性を現しております。一つの文化には、多数の人の自我認識モデルが存在し、それぞれの民族にも表面上の自我認識モデルがあるのです。日本人の個人自我認識の不確定性と民族の表面自我認識の不確定性の間には、つながりがあり、投影されているような関係が存在します。日本人の自我認識モデルの学術研究は、日本人論が日本ではやる独特の文化心理の基礎を指摘しておりあます。






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日本人論がはやる背景 Part 2
=== 西洋人と日本人が思う「菊と刀」 ===

「我々は、だれなのか?」という問題に対し、人類は、いつも多大な好奇心を持ちます。しかし、日本人のようにこの問題対して異常に関心をもつ国民は世界でも珍しいと思えます。といいますのも、私は「アメリカ人論」がアメリカで、「ロシア人論」がロシアではやったのを聞いたことがありません。私の見方では、日本人論がはやるのは、2つの需要があるように思います。1つは、世界の日本に対する需要。もう一つは、日本人の自己に対する需要です。

まず、日本人論がはやるのは、世界の日本に対する需要があります。私たちは、日本が近代で唯一の先進国に入っている非西洋国家であることをしっております。西側の人から見ると、希な現象です。「日本人とは?」この問題は、西洋からすると、ずっと強烈な好奇心をかき立てる問題なのです。西側からも各種の「日本人とは?」という日本人論が出てきております。

最も著名な日本人論は、アメリカ文化人類学者 Ruth Benedict の「菊と刀」です。第二次世界大戦中アメリカが日本を理解するために書かれた本です。戦争中の日本の行為は、アメリカ人を困惑させました。アメリカ政府は、人類学者などを集め日本を研究させます。「菊と刀」は、その研究報告を元に出版された本なのです。

この本の中には、広く引用される日本人の性格について書かれている文章があります。西側の人が日本人に対してもつ困惑を説明する箇所なのです。「日本人は、菊の栽培技術に熱心に取り組む美を愛する国民です。当時に軍刀を崇拝します。武士を尊ぶ民族でもあります。菊と刀は、どちらとも一枚の絵の中の一部なのです。日本人は、決闘を好み、美を愛する。野蛮で、優雅。板に彫刻をし、そして対応力に富んでいる。服従するが、人の好意に甘えない。忠誠であるが、真義に背く。勇敢で臆病。保守的でありならが、新しい物事を受け入れる。そして、その一切が相互に矛盾したままの気質を持ち、最高のレベルで表現できる。かれらは、非常に他人の目を気にするが、他人が彼らの間違いに気づかなくても、罪悪感にさいなまれる。彼らの兵は、非常に規律を守るが、従順ではない」。西側の立場から見ると日本人の行為は、矛盾に満ちており、奇妙にうつる。これらは、全て印象主義的で、西側の中心主義の特徴を帯びている。

たとえそうだとしても、彼女のこの本は、世界の日本観というだけでなく、日本人の日本観でもある。その影響は計り知れない。それは、日本人が書いた本を超えていると言っても過言ではない。西洋人に限らず、中国人、アジア人にとっても、日本が西側の先進国に入っているのは、珍しいことなのである。中国と日本は、隣り合わせているが、一千年以上に渡り交流があり、昔の生徒が近代になって突如いろいろな面で私達の前を走っているのである。私たちをひどく傷つけたのにである。どうしても我々には納得がいかないのである。私たちにとって、日本が謎であると言ってもいいであろう。皆さんがどんな視点で見ようとも、強烈な感情を持ってしまいます。日本を理解したいという強い願望を。「菊と刀」の中国語版は何種類もあり、長く読み続けられています。日本の学者がこういって嘆いているのを聞いたことがあります。「大変残念ながら、中国人は、未だに「菊と刀」で日本を理解しようとしている。」と。確かに日本人が書いた研究論文はたくさんありますが、この本より影響力の大きい本はないと認めざる得ないのです。

次に、日本人論が盛んなのは、日本人の自己に対する需要があります。日本人にとって、「我々とは?」とう問題です。文化という観点から見て、日本文化にかけているものは、西洋のキリスト教、中国の儒教、印度の仏教のような主体意識形態ではないでしょうか。古代日本は中国の儒教、印度の仏教を吸収してきました。近代になって、大量に西洋の文化を受け入れた為に、日本の文化は、雑多な特徴を持ちます。これは、日本人の同一化が生んだ文化原因です。明治維新後、日本は早急に「脱亜入欧」の政策をとり、中国文化との、へその緒をを切ります。模倣にたより、追い抜く為です。紆余曲折を通じて現代化を実現します。ついに、非西洋世界で唯一現代化を成し遂げた国家になりますが、日本自身は、西洋文化との差を感じ、もう一つの重荷を背負うような自己に対する困惑が生まれます。この現象は十分理解できます。一匹の猿が鹿の群れに入り、猿はいぶかります。「俺は誰なんだ?」「なんで彼らと違うんだ!」。時が経つにつれ、自分が猿なのか鹿なのか、疑問を持つようになるのです。時々強烈な劣等感に襲われ、自分が醜悪に思えます。しかし、ある時は、傲慢になり、自分の長所を他と比べて優越感に浸ります。文化的安定の問題が長期の渡って日本人を困惑させます。その答えが、「日本人とは?」という日本人論であり、人々の欲求を満たすのです。日本では、著名な人文社会科学学者は、それぞれ「日本人とは?」という自分なりの答えをもっております。いつつか例をあげると、[ 和辻哲(郎?)]は、日本人を総括し、「豊富と露出、変化の中の静かな感情、活発で敏感、飽きやすく、無持久性、静かな情熱と戦闘的淡泊」と言っております。このような表現は、厳格に言うと学術的な結論とは言い難いのですが、日本人は、異常に興味を持ちます。著名な学者が見方を発表すると、すぐに大衆の熱い議論を呼び起こします。外国の日本民族性を書いた本は、肯定論であろうが、否定論であろうが、あきらかに嘘八百のものでも、すぐに日本語に翻訳され、日本人の脚光を浴びます。日本人がいかに自分自身の問題に敏感かという現れだと思います。







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日本人論がはやる背景 Part 1
ネットで興味深い日本人論を見つけました。
4回に分けてご紹介したいと思います。

私のブログでは、中国国内のネットで見つけた文章を日本語に訳してご紹介することが多々あります。著作権の問題もありますので、私が読んだ感想を書こうかなとも思ったのですが、そうすると私の主観がはいってしまい、中国人が考えたことを無意識のうちにゆがめてしまう可能性があります。私としては、日本人に中国人の考えていることをそのままお伝えした方が良いと判断し、日本語訳を載せる事にしました。厳密に言うと訳をするときに多少私の主観が入るのは、ご勘弁ください。

日本人論がはやる背景


Huntington,Ellsworth が指摘しているように、世界では、国家内での他民族化、グローバル化が進行しております。
次第に、伝統的な国家が同一になり、特に先進国では、一種の危機と言ってもいいのかもしれません。「我々は、誰なんだ」という問題は、日本人だけが直面している問題ではありません。

作者:尚会peng 北京大学国際関係学院教授 北京大学国際関係学院亜太研究室主任

2006年藤原正彦の「国家の品格」という本が出版され、日本では、ベストセラーになっております。この本は、日本人論を述べた本で、主に日本人の持っていた品格、国家的条件、例えば、美しい田園、高尚な道徳(武士道精神)、神、仏、自然への畏敬と精神。物質に拘らない伝統等について書かれております。しかし、近代日本は、盲目的に西洋を模倣し、理性を強調し、豊かになり、理性を持ちましたが、品格の無い国家になったと述べております。


=== 否定と肯定の狭間で揺れ動く日本人 ===

日本の歴史を見るとわかりますが、いつも社会の変革が起こると、いろいろな「日本人とは?」という日本人論がはやります。明治維新の時、日本の門戸が西洋によって開かれたとき、新渡戸稲造の《武士道》、内村鑑三の《代表的日本人》、岡倉天心の《茶の本》等が現れます。この時代の日本人論は、主に西側に日本人を、日本の文化的特徴を理解し認めてもらい対等な立場を獲得するのが主な目的でした。

昭和初期、日清戦争(中国では、中日甲午戦争)、日露戦争を通して、日本人の自信は増長します。日本文化の特性を宣伝し、日本種族優越的日本人論が台頭します。この種の日本人論が、最終的に日本ファシズム、軍国主義へと変貌する事を許してしまいます。

日本は、侵略戦争失敗の後、全てを失い、悲観的になります。自信は、奈落に落ちます。このような時には、否定的な日本人論が起こります。

この時期の最も代表的な日本人論に、文化人類学者 Ruth Benedict の「菊と刀」があります。この時期の日本人論は、アメリカが改革を実施するための理論的基礎となりました。

前世紀60年末から80年、日本は高度経済成長にあり、世界が驚愕する成果を収めます。日本人論も再び現れ、最高潮となります。
この時期の日本人論の特徴は、日本文化の特性と肯定、日本が成功した発展モデルの分析とその秘密、文化伝統にその原因をもとめ現代の資本主義発展要素を探るという内容のものです。この時期に出版された日本人論は、大変多く内容も多岐にわたります。中根千枝の《タテ社会の人間関係》、土居健郎の《“甘”の構造》、浜口惠俊の《日本特性の再発見》等が代表作です。

統計によると1946年から1978年日本論の著作は698部にのぼります。
前世紀70年代末から90年代末には、この種の本は2000部以上あります。
この種の所謂日本人論は、人類学的なもの、心理学的なもの、社会学的なもの、文学的なもの、厳格なもの、適当なもの、否定的なもの、肯定的なものといろいろです。しかし、基本的な共通点は、日本は形勢が良く、成功を収めた、それは、日本人が優秀な種族であるという肯定的な日本人論です。

形勢が悪くなると、「なんで日本人はだめなのか」という否定的日本人論が始まります。日本人論は、否定と肯定の間で揺れ動いているのです。さらに、日本人論の本が出版されると、いつも日本社会で関心の的になり、その題目は、お茶の間の話題に上ります。

つづく





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中国の大富豪は、26才の女性
yanghuiyan



本日の天津の城市快報に、米経済誌フォーブス<福布斯>(アジア版)で、楊恵妍さん(26才)が富豪のトップになったことが載りました。

その資産なんと

160億ドル(約1兆8800億円)


父親の楊国強氏が創業した不動産開発会社「碧桂園」の株を、2005年に譲り受け、その後香港証券取引所上場、一気に長者番付の首位に躍り出たそうです。

それにしても、世界のトップビル・ゲイツ会長の資産総額590億ドル(約6兆7800億円)に比べるとかなり差がありますが、中国の物価を考えると、その価値は、すでにビル・ゲイツ会長を超えていると言えるかもしれません。

世界の富豪と比較してもトップ20位には、はいりそうです。

楊恵妍氏は、米オハイオ州立大学の卒業生で、お見合いで知り合った中国当局の高官の息子と結婚しているとのこと。






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言語と思考
人間は客観的な世界にだけ住んでいるのでもないし、また、普通の意味での社会的な活動の世界にのみ住んでいるのでもない。人間は自分たちの社会にとって表現の手段となっているある特定の言語に多く支配されているのである。基本的に言語を使うことなく現実に適応することが可能であると考えたり、言語は伝達とか反省の特定の問題を解くための偶然の手段にすぎないと思ったりするのは、全く幻想である。事実は「現実の社会」というものは、多くの程度にまで、その集団の言語習慣の上に無意識に形作られているのである。われわれが聞いたり、見たり、或いは経験したりするのにはだいたい一定のやり方があるが、これはわれわれ共同体の言語習慣がある種の解釈を前もって選択させるからである。

[エドワード・サピア]

一般に私たちは、私たちが使っている言語について、あまり深く考えては使ってはおりません。しかし、私たちは、この言語によって、私たちの考え方や行動が左右されているという事実を認識しておく必要があるかと思います。

少し前に、[歴史にあえぐ中国]という記事を書きました。その中に


(中国)歴史は、What had happened. 起こったことを書くわけです。
(西洋)戯曲は、What would happen. 起こるであろう事を書くのです。


※この言葉は、吉川幸次郎先生の「吉川幸次郎講演集」P40に書かれております。

中国人は、何が起こるかを考えずに、起こった事に対してのみ、これまでの歴史(経験)に照らし合わせて物事を判断しているのではないかと思えるのです。

と書いております。


この言葉の意味を、もう少し詳しく見てみたいと思います。

英語には、時制というものがはっきりと存在します。しかし、中国語には、時制はほとんど存在しません。あえて言えば、文の最後に付ける"了"という漢字が過去を表現しますが、過去を現すというより、完了、経験を意味するように感じます。

では、過去はどう表現するのか、時間を示す「昨天(昨日)」「一年前」「以前」等の言葉を使ってのみ可能です。これは、日本語にも言えることで、日本語で、「私は、トイレに行った。」というと今行ったのか、昨日行ったのかは分かりません。かならず、なにかの時間的言葉を付け加えないとはっきりとは、判断できません。しかし、英語では、その点もはっきりしないと言葉になりません。I went なのか、I have gone なのか。

それでは、問題の未来形については、どうでしょう?
未来形の問題を考える前に、未来という概念について、少し考えておく必要があります。未来とは、まだ起こってないわけですから非常に曖昧です。ここに言葉のマジックがあります。過去と現在、そして未来。その3つの概念を私たちは同等に捉えてないでしょうか。

    状態                信憑性

過去  すでに起こった事柄で変更不可能   言葉で、事実かどうかは判断不能

現在  私たちの五感で体験できる状態    事実の確認ができる状態

未来  まだ、存在してない         本人の意志のみに依存


この表でおわかりになるとおり、現在と過去という概念もかなり違いがありますが


未来とは、現在や過去とは全く性質の異なる概念なのです。


この違いを認識しないと "HAD HAPPENED" と "WOULD HAPPEN" の違いが明確には理解できません。
辞書で "WILL"を調べてもらえば、すぐにわかりますが、未来形というのは、「過去」、「現在」に対して便宜的に付けた名前だと思えます。「未来」という言葉を使って表現すること自体が、勘違いをさせてしまう根源なのです。本来は、「意志」「願望」「推測」という言葉で表現すべき性質のもののように私は感じます。

英語の WILL には、神聖な感覚があるのを感じられませんでしょうか?
この単語には、欧米の神との契約という観念が存在しているように思います。

キリスト教というのは、各個人と神との契約で成立しているというのは、よく聞く話です。かれらの契約、約束というのは、絶対的なものです。契約を破る、約束を守らないと即自分が神から罰せられます。そこには、どのような妥協も許されないのです。

しかし、私たち、アジアではそうは考えません。契約、約束というのは、相手に対する"忠"、"義"、"信"なのです。
だから、相手が許してくれれば、契約を守らなくても、約束を破ってもかまわないのです。
しかし、日本人と中国人では、その感覚が又違います。
日本人は、簡単に謝罪します。それは、誤ったら相手は自分を許さないといけないという暗黙の思いこみがあります。日本人は、謝ったのに許してくれないと相手が悪いと思っている節があります。

中国では、契約を破ったり、約束を守れなかったら、いろいろ理由をつけて弁解をします。この弁解をする能力を中国人は、高く評価します。いかに説得できるのかが、彼らの人を評価する基準(本事 Benshi)に属します。そこで、嘘をつこうが多少間違っていようが、そんな事は関係ありません。いかに面子をくすぐり、人情を持ち出し、相手を納得させるのか、その能力そのものが高度な技術として評価されるのです。

つまり、欧米では、未来をいかに予測し自分が言ったことを間違いなく実行するのかという所が大切になるわけです。だから言語も未来形といったはっきりした形態をとり、現在や過去と区別をする必要がある。そして、抽象的にいろいろな事を分析し、What would happen を追求して行くのではないでしょうか。

対して、中国では、なにか起こったときにいかに相手を説得するのかという所に重点がおかれます。その為には、いろいろな歴史的な知識を詰め込んでおいて、どんなケースに遭遇しても対処できる知恵を詰め込んでいるように私には思えます。ドラマなどで、昔の故事を持ち出して、相手を説得する場面が多く有るのもこのためだと思います。沙家浜の阿慶嫂がまさにこの理想像と言えるでしょう。





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歴史にあえぐ中国
以前投稿した林思雲さんの文章に下記のような話があります。


中国は、1980年にアメリカ向けの1ドルシャツの輸出を始めました。しかし、今でも1ドルのシャツを売っています。なおかつ、まだこの状況が続きそうです。中国人は、いつも現状に安んじて、1ドルのシャツが売れ続ければ、いつまで経っても同じ事をしています。製品革新精神の積極性欠乏です。中国は、数百のカラーテレビ生産ラインを導入しました。生産ラインを導入した全ての工場は、永久に生産しよう考え、改良や革新は、行わないと思います。カラーテレビ等の家電製品は、製品の入れ替えが激しく、1種の型番製品の寿命は、たったの1年から2年と言われ、それ故に、中国家電企業の平均寿命もたった2年くらいしかありません。中国企業の寿命は、往々にして、その生産する製品の寿命と同じなのです。}


史記の最後の章「大史公自序」に孔子の
我欲載之空言,不如見之于行事之深切著明也。
「抽象的な言葉で説明しようとしても、事実のように明晰には表現できない」
という言葉があるそうです。
ここには、現実しか書いておりませんよという司馬遷の宣言です。

また、論語に下記のような話があります。
子路「神様に仕えるには、どうしたらいいのでしょう。」
孔子「いまだ人につかうる能わず、いずくんぞ鬼につかえん。」
子路「あえて、死を問う。」
孔子「いまだ生をしらず、いずくんぞ死を知らん。」

子路は、全く相手にしてもらえなかったようで、少しかわいそうな気がします。
孔子は、超現実主義者で、目の前の問題を考えることだけに集中し、
哲学的な問題や抽象的な思考を排除してしまったようです。


中国では、史実を重視するあまり、小説のようなフィクションの発達がおくれ、
戯曲らしい戯曲が現れるのは、13世紀、元の時代。
小説がはっきりした存在となるのは、明の時代だそうです。

歴史は、What had happened. 起こったことを書くわけです。
戯曲は、What would happen. 起こるであろう事を書くのです。


歴史を書くためには、事実さえはっきりすれば書ける訳ですので、単純な作業になります。
良い文章にするために、いろいろな技術は必要でありましょうが、抽象的なものを組み立てて考える必要はありません。西洋では、早くから戯曲や小説が発達しておりました。なにが起こるかを書くためには、人間の本質のようなものを、日々の事柄から拾い集めて、抽象化し、組み立てていく必要があります。

ここに、中国の特殊性があります。

中国人は、何が起こるかを考えずに、起こった事に対してのみ、これまでの歴史(経験)に照らし合わせて物事を判断しているのではないかと思えるのです。

中国人は、この先どうなるのか、だからどうしなくては、いけないのか、とは考えていないようです。また、起こったことにのみ対応するので、その場その場の対応となり、その思考や行動には、一貫性がなくなります。これが、私たちが、中国人を理解できない大きな原因の一つではないでしょうか。







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汪精衛(Wang jingwei) Part 2 革命党救済
時間があれば、この記事の頭からどうぞ!

1908年西太后と光緒帝が相次いで死にます。そして、次の皇帝が「ラストエンペラー」と知られる宣統帝です。皇帝は三歳、その父醇親王(光緒帝の弟)も25歳と若い政権だったので、実権は直隷総督であった袁世凱が握ります。

武装蜂起が6度失敗すると、孫文に対する批判の声が段々高くなります。

また、日本人から孫文に送られた2万円(当時の月給が2,30円)は、2000円を民報に残し、残りは全て孫文が持ち出し、その出費明細が分からないところから、孫文の私的費用に使われたという疑いが起こります。

1909年10月黄復生と汪精衛は、ここぞ革命の決心を見せる時であると、自ら北京で清朝高官を殺害すべく英国船で、天津に向かいます。

北京についた彼らは1910年3月31日深夜爆弾を橋の下に隠しますが、すぐに爆弾を見つけられてしまいます。
その後も北京に潜伏し機会を伺っておりましたが、1910年4月16日2人とも捕まってしまいます。

1910年4月29日清廷は、彼ら2人を"朝廷政策の誤解"という理由で、死罪を免除し、永久監禁とします。

獄中、汪精衛は、毎日詩を作り続けます。
その中で、もっとも有名な詩は、《被逮口占》(別名《慷慨篇》)。

陳璧君は、獄中の汪精衛に、「私と貴方の間には、高い壁がそびえ立ち、もう逢う事はかないませんが、私と貴方の真心はこの高い壁でも遮られません。結婚式は、かないませんが、心の中で結婚していると思ってもよろしいでしょうか?」と書き送ります。それに対し、汪精衛は、血で書いた「諾」の1文字を送ったそうです。

1911年10月10日武昌で蜂起が発生。10数日という短い間に全国20数省が独立を宣言します。
清廷は、情勢を挽回しようと、1911年11月6日黄復生と汪精衛の釈放を発表します。

1911年12月汪精衛は、船で上海に向かい出迎えた陳璧君と正式に結婚します。
それ以来、彼ら二人は、汪精衛が死ぬまで一緒にいたそうです。





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