天津駐在員が送る中国エッセイ
***************語学の習得には、その国の歴史、思想、習慣などの知識が必要です。 中国は、私たち日本の隣国であり、世界の大国でもあります。これからいやでもうまくつきあっていく必要があります。一緒に中国の事を勉強しましょう。***************
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Author:shinoper
私たちには理解できない中国人の行動や考え方には、何かの理由があると思います。
それが、歴史の中にあるのか?
社会環境にあるのか?
お互いによい関係を気づくために、理解しあえるようなブログにできたら良いなと思います。



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天津、オリンピックの準備
中国初の国産新幹線車両が完成、時速350キロも可能

中国で時速350キロでの走行が可能な国産の新幹線車両が完成した。新型車両は北京五輪開幕前となる6月末までに運行を開始する。

世界最大の観覧車が完成!35階の高さを空中散歩―天津市

天津観覧車


25日、天津市の永楽橋で大型観覧車にゴンドラが吊るされ、工事が完成した。イギリスのテムズ川沿いにある観覧車ロンドンアイを抜き世界最大だという。

天津机场新航站楼四月二十八日零时启用

本日午前0時より、天津空港の新ターミナルが動きだしました。
明日の一時帰国は、このターミナルからです。





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殲(Jian)-10
新型戦闘機購入を北朝鮮が打診=東アジアの軍事バランスに影響も―中国


北朝鮮空軍代表団が中国国防部を訪問した。中国の新型戦闘機「殲-10」購入打診が目的と見られている。中国新聞社が伝えた。

「殲-10」は昨年配備されたばかりの第3世代戦闘機。ロシアのミグ29を上回る性能を持ち、韓国、日本、台湾が配備する第3世代戦闘機F-16とほぼ互角の性能を持つと評価されている。


殲-10a


殲-10b



中国殲-10戦闘機専題という結構詳しく紹介しているホームページがあります。昔は、こんなこと絶対公開されてませんでしたけどね。


= 殲-11戦闘機 =

殲-11a


殲-11b


【軍事情勢】中国空軍の継戦能力

中国は現有新鋭機の完全なる自国生産を達成できていない。例えば、殲撃11B型の生産には、主要部品をロシアから輸入しなくてはならない。殲撃13型もエンジンのオーバーオールはロシアでしかできない−といった具合だ。2006年末まで、西側軍事関係者の間で「最も謎に謎に包まれている」と注目された殲撃10型についても「エンジンは相変わらず、いまだロシアから輸入しなくてはならない。






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厳復(Yan Fu)
天津の古文化街を北の入り口から入り、すこし歩いていくと左側に、
= 厳復(1853年12月10日-1921年10月27日) =
の銅像があります。

厳復


厳復は、中国清末から民国初めにかけて活躍した啓蒙思想家・翻訳家です。

福建省侯官県の人で林則徐と同郷。字は又陵。号は幾道。
洋務運動の成果の一つであった福州船政学堂に学びます。

1877年には最初の留学生の一人として渡英し、1879年までポーツマス海軍大学で軍事学を学び、
単に軍事関係の知識を吸収しただけではなく、広く西欧の文化・思想を吸収。

帰国後、1880年に李鴻章が天津に創設した北洋水師学堂に招かれて総教習。
二十年間その職にありました。

国文報


※天津博物館で撮影

1898年代表的訳書『天演論』を出版。
非常に大きな影響を与えます。
※トマス・ヘンリー・ハクスリーの『進化と倫理』を訳し、それに厳復自身のコメントを付したもの

また同時期活躍した康有為や梁啓超の思想に決定的な影響を与えました。

辛亥革命の後、孔子崇拝を提唱や袁世凱の帝制運動への参加によって保守派のレッテルを貼られ、失意のうちに晩年を迎えます。





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功夫之王(Gong fu zhi wang)
4月24日より、天津でも功夫之王の上映が開始されました。

日本名『ドラゴン・キングダム』。
私もカンフー映画は好きな方ですし、今回は、ジャッキー・チェンとジェット・リーの初共演という事もあり、「万達影場」という映画館に、さっそく見に行ってきました。
RMB60元、午后9時以降は、半額のRMB30元でした。


大変痛快な映画で、カンフー映画が好きな人には、面白い映画です。
スカッとします。

ただ、ストーリーは大変単純で物語としてのおもしろみはありません。

香港映画の特撮は、人が飛ぶところなど、不自然さが感じられて私はあまりすきではありません。
この映画にも一部その特撮が使われておりますが、かなり限られており、全体的には、香港映画くささはあまり感じられなくなっております。

天龍八部に代表されるような武侠映画をベースに、六小齢童の孫悟空、梁羽生著<白髪魔女伝>、の要素を取り入れ、さらに、

ベスト・キッド

= ベスト・キッド =
= バック・トゥ・ザ・フューチャー =
の要素を取り入れた、ハリウッド版香港映画という感じです。
いろいろな要素を取り入れて、多様性はありますが、あまり新鮮さは感じられなかったのが少し残念です。

この映画のメインである「ジャッキー・チェンとジェット・リー」の格闘シーンは、さすがに濃厚です。これまでの格闘シーンとはひと味違う気がします。なかりの時間を割いていると思いますが、すぐに時間がたってしまいます。

また、白髪魔女を演じる李冰冰、金燕子を演じる劉亦菲、杰森を演じるマイケル・アンガラノ等の出演者もなかなか格闘シーンの立ち回りがうまく、全体的には、良くできていると思います。






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テーマ:中国映画 - ジャンル:映画


国破山河在 序章 (抗日戦争の再検証)
興味の有る方は、最初からどうぞ!

改革以来、抗日戦争の歴史事実が全面的に明らかになり、その事実の評価がなされております。
私も、中学教師から、歴史専門の研究生となり、さらに、歴史地理専門の研究員になりました。
歴史の真相を理解する機会に恵まれ、専門に研究、史跡の考察を行います。
清西抗戦50周年のとき、雲南へ行き学術討論会に参加しました。
松山、龍陵、騰沖等の戦場跡も考察に行きました。
最後に、国?墓園に行ったとき、数千の国ために献身した魂を目の前にし、慙愧に耐えませんでした。
どうして彼らは、こんなにも長く、放置され続けたのか。

近年多くの資料を読みました。
抗戦も多方面にわたり理解できるようになりました。

=== しかし、知れば知るほど、それらが、抗戦の一片でしかないことを思い知らされます。 ===

中国の記載もさることながら、日本にも、他の国にも多くの史料が残っているのです。
南京大虐殺を例にとると、その史料は、アメリカ、ドイツ、イギリスなどに散らばっております。

1997年私は、日本の京都で、日本文化研究センターの研究員になりました。
図書館で多くの戦争当時の映画を見つけました。
その一部は満映(満州映画株式会社)が撮影したニュースでした。
一通りは、目を通しました。
それで、初めて私が子供の頃から見ていた「新聞簡報」が満映を習ったものであることがわかりました。
これらのニュースは、日本が中国を侵略する為のものであり、宣伝の目的でつくられたものです。
しかし、少なからず、その中に事実は含まれております。

たとえば、日本軍が上海に攻め入ったとき、愛国女子中学で、中国軍隊の激しい抵抗にあってます。
その学校を占領した後、皇軍と国軍の戦死者は、位牌を設けられました。
映画の中の日本軍人は、双方の位牌に献花をします。
東北の民衆は、日本政府にこき使われながら、石炭を掘り、婦女は、工場で飛行機を組み立てます。
売国奴政権下の市民は、上海の外白渡橋で、小旗を持ち日本軍隊を歓迎します。
溥儀が訪日するとき、表面上は、盛大に歓迎されます。
汪精衛がの死体が専用機で南京へ帰国した際、さめた雰囲気が支配します。


日本の図書館には、その他にも大量の史料があります。
残念ながら、私には、専門以外に費やせる時間は、ほとんど残されておりませんでした。
日本語の理解が遅く、ざっと目を通すこともままなりません。
もし、私が抗戦史、または、近代日中関係の研究をしていたら、日本にある史料は、間違いなく中国の史料と同様に重要なものとなるでしょう。

日本の学者との交流で、文化的背景以外に、根拠とする資料の違いに気が付きました。双方の意見がくい違う重要な原因です。
しかし、相手が当方と違う史料を持っているという中国学者の論文を見たことがありません。

2004年台湾の「?南交際大学」での講習期間、霧社を参観しました。
以前から霧社事件(暴動)を知っていたからです。
学校に戻り、その学校の浜島敦俊教授と話し込んでいると、彼は、私が知らない事実を上げて、反する理由を話されました。
もし、同じ事実についての理解の不一致、概念の不一致であれば、討論を継続することが可能です。

真相がはっきりする前に、原則を重視したり、標準を無視することには、なんの意義もありません。

私は薩蘇(作者)さんの原稿を読んだとき、すぐに、この序章を書くことを決めました。

なぜなら、抗日戦争の歴史を多面的に理解することに役立つと考えてたからです。この本を書ける事は、薩蘇さんが恵まれていると言えるでしょう。彼の家族、社会背景が彼に抗戦が残した人物、事件との接触する機会を与えてくれたのです。なかなか正しい史料にであえるものではありません。彼は、アメリカの会社に貢献することで、長期に日本に滞在し、日本への理解を深める事ができました。

ここに収められている内容は、多岐にわたります。
当時発表された報道、内部報告、通信、思い出、会話、写真、地図、書物など、中国で始めて発表される多くの事実、私も始めて知るものが少なくありません。

私は、さらにこれらの文章を読んで、彼が厳格に資料を選び、客観的に分析している事に感謝しなくてはなりません。彼は歴史学の専門的訓練を受けておりませんが、事実と大切にし、真実を求める態度は、歴史学者に劣りません。

もしかすると、日本の資料を多く用いる事によって、抗戦の歴史を誤解する人がいるのではないかという心配をされる方もおられるかもしれません。日本の侵略罪行を軽く見てしまうのではないかと。

それは全く逆だと思います。

=== 事実は、明らかになるほど、結論もはっきりします。 ===

双方の史料を一緒にして、お互いの矛盾を比較検討する。
そうした基礎の上に出された結論こそが歴史の検証となり、双方に説得力をもたらします。

例えば、戦争中の傷戦死者数。
作者は、日本側の報道における嘘を紹介しております。
日本内部で承認された数字も明記しております。

さらに、日本の史料から見ると、八路軍が撃墜した日本の偵察機について、中国側ではなんの記載もありません。
当時、重視して無かったのでは、ないでしょうか。
作者が気が付かない限り、中国の抗戦史における輝かしい1ページは、存在しなかったのです。

薩蘇さんの文章は、人を引きつけ、言葉は、重重しい中にも親しみやすさがあります。
部分的に専門家がみると、少し誇張していると思われるかもしれません。
しかし、一般的な読み物とは違います。

私は、薩蘇さんをよくは存知あげません。
送って来られた、原稿で始めて、その文章から彼の人となりを推測しております。
多くの読者とこの喜びを分かち合いたいと、この文章でご紹介させていただいております。
薩蘇さんがどのように評価されるかもわかりませんが。




最後になりますが、このような本がすでに、中国で発刊されている事実を、みなさんにもう一度見直していただきたい。確かに、未だに中国は報道統制を取っておりますが、かなり限られた範囲においてです。そこが大切なんだと言われると思います。
私もそうは思いますが、私が20年前にいた頃とは、大違いです。中国がかなり早いスピードで、変わってきているのは間違いありません。これからも、その方向が続くのかを私が保証する事はできませんが。







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国破山河在 序章 (反日感情の変遷)
昨年末、下記の本を購入しました。

国破山川在


なかなか興味深い本で、これから私が気に入った箇所をいくつかご紹介しようと思います。
まず、最初に、この本の序章である
= 復旦大学図書館 館長 葛剣雄氏 =
の文章を全文訳してご紹介したいと思います。
※わかりやすいように、主だった事件を加えました。

==== 1945年日本敗戦 ====
==== 1945年至1949年第三次国内革命戦争(中国人民解放軍が国民党政治をひっくり返した戦争) ====
==== 1949年10月1日中華人民共和国成立 ====


私は、1945年、抗日戦争が終わった数ヶ月後に生まれました。
物心がついてから、大人たちが「東洋鬼子」「倭東洋」「東洋乌龟」と言っているのが耳から離れませんでした。
日本兵がどのように住宅を燃やし、どのように女性に暴力を働き、どうしようもない日々が、どんなに苦しかったか。
一般の無実の人々が、どういう屈辱を受けたのか、私の幼い心に焼付けられました。
街のいたるところに荒廃したところが残っていました。
抗日戦争のテキスト、楽曲、小説、劇、映画とともに大人になりました。

平型関大捷、百団大戦、奇襲陽明堡、狼牙山五壮士、白求恩、<松花江上><保衛黄河><遊撃隊員之歌><太行山上><延安颂><抗大校歌><鸡毛信><小兵張嘎><鉄道遊撃隊><平原遊撃隊><敵后武工隊><烈火金鋼><野火春風闘古城><地道戦><紅火記><沙家濱>

絶え間なく、中国共産党、八路軍、新四軍、革命家たちの英雄イメージと日本侵略者、売国奴、偽軍、国民党反動派に対する恨みを深めて行ったのでした。

==== 1950年-1953年朝鮮戦争 ====
==== 1957年大躍進運動 ====


1957年私は両親とともに上海にきました。
上海では、「日本商品展覧会」が開かれました。
それは、戦後初めて、日本の国旗が上海に掲揚された時でもありました。
聞くところでは、もし政府が警備をかためなければ、きっと愛国青年に引きおろされるだろうといわれておりました。

しかし、一方このような発言がだんだんと耳につくようになりました。

日本軍国主義と日本人民は、区別しなくてはいけない。
日本人民は、戦争に反対した。
彼らもまた、戦争の被害者である。
中国との友好を望んでいる。
現在、アメリカ帝国主義と日本反動派が闘争している。
だから、私たちは、日本人民の反アメリカ愛国闘争を、集会、デモ等のいろいろな方法で支持しなくてはいけない。

==== 1960年-1962年?食料危機 ====
==== 1960年ソ連は中国に派遣していた1390人の技術者の引き上げ、機械部品及び原油供与の中止 ====


1960年夏、私は上海で、高校の入学試験を受けました。
作文の課題は、「日本の友達への一通の手紙」でした。

==== 1966年プロレタリア文化大革命決定 ====

文化大革命の期間、「反修」のスローガンが叫ばれるようになり「蘇修(ソ連の修正主義)」を最大の敵とみなします。
日本人民への理解に加え、「北方4島返還」まで叫ぶようになります。

日本軍国主義への暴露が復活、国家幹部の間では、日本の反動映画<あ、海軍><山本五十六><日本海戦>が放映されました。中学の教師も幹部として映画を見れたのです。私は、批判の目で見ましたが、初めて見る日本軍の軍容に驚きました。


つづく





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チベット青年会議(Tibetan Youth Congress)
重要なニュースを見落としていたようです。
これで、中国側の言っていることと大体のつじつまが合ってきます。


中国側のニュース ラサ 3.14事件 真相


ダライ・ラマの「中道主義」、チベット人強硬派は非難

TYCを主導するツェワン・リグジン(Tsewang Rigzin)氏は、亡命政府がおかれたインド北部ダラムサラ(Dharamshala)で記者会見し、「チベット自治区で人権侵害を続ける中国に五輪開催の資格はない」と中国を糾弾。

 さらに、1959年のチベット動乱でダライ・ラマがインドに亡命して半世紀が経過し、非暴力による自治獲得を目指したダライ・ラマの「中道」主義はチベット人民の考えと乖離(かいり)しているとして、ダライ・ラマをも批判した。


<チベット>急進独立派の代表が「自爆式暴力手段の使用」を示唆―中国

急進的なチベット独立派とみられる「チベット青年会議」(蔵青会)のツェワン・リグジン(次旺仁増)代表はイタリア紙「コリエーレ・デラ・セラ」の取材に応じ、「チベット抵抗運動は自爆式暴力手段を用いる時期が来たようだ」と述べた。







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カルフール不買運動にみる中国の国民性
みなさん、今回のカルフール不買運動をどのように見ておられるでしょうか。
私は、今回の騒動に中国人の国民性をみている気がします。

この騒動が始まったときに、義和団の乱とにている事を書きましたが、まさにその様相を呈してきました。
さらに、天安門事件をも、思い起こさせます。


日本におられる皆さんは、多くの中国の問題を中国政府のせいにされる傾向があるように思います。
私は、こちらにいて、もともとの中国人の国民性の問題ではないのかなと考えます。
その国民性に問題があるので、それに対応しようとする中国政府の対応も異常に映ります。
当然、中国政府の決定が全て正しいとは思いませんが、中国の国民性に対応するには、日本や欧米のような生やさしい方法では効き目がないと思えるのです。

中国ではいろいろな個人的ケンカの問題が、お互いの自己主張が強く譲り合わない事から始まっているように思います。なぜ、そうなるかというと、混乱の時期が長かったので、民衆が基本的に政府を信用しないように成ってしまっており、さらに、未だに、しっかりとした社会規範、法律の整備ができていないからではないでしょうか。

= 言った者勝ち =
という風潮が中国全体に蔓延しております。それは、少し前に 「中国人は、なぜいいいいかげん?」という記事の中で触れた度量衡の問題と同じような問題ではないかと思うのです。

中国がしっかりと方向を見定めて、本当に発展が始まったのは、トウ小平氏の改革開放政策が始まってからなのです。

日本や欧米から見て、中国にいろいろな問題があるのは、仕方が無いことです。
しかしながら、日本や欧米の報道機関は、まったくその事を理解せず、単純に現在の日本や欧米と現在の中国を単純に比較しているように思います。

日本から中国にくると時間が昔に戻ったような感覚に襲われます。
田舎にいくと、ドラマの中や、歴史の中にいるような不思議な感覚に襲われます。

中国の話を日本人にすると、日本の数十年前見たいだね。
私たちの子供のころみたいだね。
と言われる方が多くおられます。

その感覚の方が、私たちが世界の時間がまったく同じと思っている概念より正しいのではないでしょうか。






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義和団の乱にみる中国の暴動 Part 3
= 中国の暴動 =

この義和団の乱。
私は歴史的事実としてよりも、中国民衆の暴動の典型として大変興味があります。以前に 「江湖」について説明しましたが、そこでも似たような事が起こっていたのがおわかりになると思います。

まず、飢饉、災害、弾圧などによって統治体制からあふれ出した人々は、その行き先を宗教団体や秘密結社に求める傾向が強いという事を感じます。中国政府が、宗教的な集まりを認めないというのは、こうした中国社会の習性を理解しているからなのではないでしょうか。私たちが考える「宗教の自由」という観念とは、全く別の次元だと思えるのです。

そして、統治体制から人々があふれ出すときは、何らかの大きな社会変化が有ったときですので、受け入れ側の組織は、急激に膨張し、その組織自体も統制がとれなくなって行くようです。

その組織に集まった人々は、社会に失望している人たちであり、大きな不安を抱えているはずです。
その不安や失望が彼らを自暴自棄にし、ヤクザ的な集団に変質したり、暴徒化するのではないかと思えます。

こうして何らかのきっかけで暴徒化が始まると、もう手のつけようがありません。
暴徒化、ヤクザ化を防ぐには、こうなる手前の段階で手を打つ必要があるように思います。



暴動は、中心となる人物が出てきて行動を起こすのは間違いないようですが、その指導者も軍事や外交の専門家などではなく、その組織において人望が有る程度の基準で選ばれているようです。よって、そこには戦略も何もなく、その方針は二転三転しています。

義和団の乱においても、少数の組織が集まりだんだんと大きい組織に成っていったようですが、軍隊のような統制はとれていないようです。

その時々で、その方針が代わり、目の前で何か起こるとそれに群がり、情勢が見えなくなります。
中国の暴動の恐ろしさは、非常に本能的な行動であり、行動している本人達でさえどうなるのか、どうしたいのか解っていないと思える事です。だから、全く抑止力が働きません。

義和団の乱についても、結局本人達は破壊行為をしただけ。
数日で八カ国軍に鎮圧され、なんの処理もできず、清朝の李鴻章が交渉に当たっております。
無謀にも八カ国軍を相手にしたために、その辛丑条約では、非情とも思える賠償を請求されております。

その中には、いろいろな条項がありますが、賠償金は、
= 4億5000万両(年利4パーセント、39年間の分割払い) =
にも上ります。当時清朝の年間予算が1億両足らずで有った事を考えるとこの時点で中国はすでに植民地化したといっても過言ではないでしょう。



私は、中国の共産党を支持している訳ではありませんし、いろいろな問題があるとも感じます。
しかし、西側諸国がいうような人権を今の中国に適用するのは、非常に危険であると感じます。

都市に住んでいる人、田舎に住んでいてもしっかりと教育をされている人たちが人権について政府に要求する気持ちも解ります。しかし、それは、中国のほんの一部の人たちであり、大部分の中国人民は、上記のような集団性を未だにもっていると思えすのです。

報道された最新の統計によれば、参加者数50人以上の大規模抗議デモは、

2005年:8万6000回
2006年:9万4000回
もあるそうです。

これは、中国政府に問題があることを示していると同時に、中国民衆がいかに暴動を起こしやすいかという事を示す数字でもあると思います。中国政府が、かなり強硬な手法で押さえつけているから起こるとも言えますが、強硬な押さえつけをしていてもこれだけの暴動が起こるとも考えられなくはありません。

そして、中国共産党の他に今、中国を統治できる政府がない以上、共産党を頼るしかなく、共産党がいい方向に進むように我々も協力していくしかないのでは無いかと、私は思ってしまいます。

日本人で、共産党政権をむやみに攻撃する人がいますが、もし中国で共産党がなくなり、中国が混乱を始め、中国各地で暴動が起こったら、その時日本は、もう他人ごとではいられなくなります。多々影響が日本にも及ぶでしょう。難民が日本へ大量に押し寄せ、犯罪者が町中にうようよとわき出る事も十分考えられるのです。

欧米人がいろいろな問題を中国に押しつけますが、中国でなにか起こっても彼らにとっては対岸の火事でしかありません。我々日本人は、好むと好まざるとに関わらず、中国という大国の影響を受けざるえない位置にいることを決して忘れてはいけないと思います。





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義和団の乱にみる中国の暴動 Part 2
興味の有る方は、最初からどうぞ。

= 義和団の乱 =
アロー号戦争後結ばれた天津条約に、清朝内陸への布教を認める条項が挿入されており、以後多くの外国人宣教師が内地へと入っていきます。


1. 外国人宣教師たちの宗教的信念と戦勝国に属しているという傲慢な態度
2. 外国人宣教師たちは、慣行を無視し、しばしば地域の官僚・郷紳と衝突
3. ライス・クリスチャン(キリスト教会の飯を食う者)の存在
飢饉などの天災により寄る辺をなくした民衆などが、家族ぐるみ・村ぐるみで帰依
4. 当時中国の内部対立の結果社会的弱者となった人々も庇護を求めて入信
5. 白蓮教徒も、官憲の弾圧から逃れるために、その一部がキリスト教に入信


そうやってキリスト教は膨張し、一般の住民・官僚ともめ事が起こります。
それが、教会と一般民衆の争いに発展。
当時清朝政府は、教会(外国人)側に立ち民衆をさらに押さえつけて行きます。

特に山東省では、ドイツの布教活動が活溌であったようで、上述の問題が多発。

元々山東省にあった自衛団大刀会という武術組織が、教会を襲撃。
また、山東省に有った梅花拳という拳法の流派も教会を襲撃。
梅花拳は、清朝政府の弾圧をおそれ義和拳と改名。
義和拳は、他の組織を吸収しながら、膨張し義和団へと変貌して行きます。

1899年末袁世凱が赴任、義和団を弾圧。
この弾圧で、義和団は山東省から直隷省(現在の河北省と北京)へと展開。
もともと、失業者や天災難民が多くいたので、さらに義和団は膨張を加速します。

義和団は、スローガンを
=== 「扶清滅洋」(清を扶西洋を滅す) ===
=== 「興清滅洋」(清を興西洋を滅す) ===
という清朝寄りのスローガンに変えていきます。
清朝政府も同情を示す者が多く、徹底した弾圧には至らなかったようです。

北京、天津に入った義和団は、外国公使館を攻撃、京津鉄道(北京−天津間)の破壊などを行ったようです。
八カ国連合が、鎮圧に動き出すと、今度は清朝政府が宣戦布告を行い、義和団、清朝政府連合軍との戦いに変わります。

義和団の乱


中国側と八カ国連合の戦いは、兵数では圧倒的に中国側が多かったようですが、中国側の武器は、刀や槍をもっている者がほとんどですぐに決着がついたようです。



つづく





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終戦後のある日本人達
中国と日本の戦争が終わって、60数年が過ぎました。

中国がだんだんと世界に開かれ、ネットの普及も加わって、当時の戦争に対する議論が中国人と日本人の間で交わされる事がおおくなったように感じております。

そういう議論を好む人たちの間では、相手を誹謗中傷する事により優位に立とうとする傾向がみうけられるように思います。大変残念な事です。

当然、戦争の前線では殺し合いが行われた訳ですので、生き残った人たちが相手の国を恨むのは当然の感情でしょう。また、それを否定することはできません。

しかしながら、戦争が終わった後にも下記のような日本人達がいたことは、全ての日本人と中国人が憎み合った訳ではないと私には思われます。



文芸春秋の2007年9月号に林真理子さんが自分の父親の話を書かれております。
林さんのお父さんは、終戦から9年間行方不明であったそうです。
では、その間何をしていたかというと

北京で武装解除された後「八路軍は、日本兵を優遇する」という噂を聞き、八路軍に参加していたそうです。


満州医科大学教授稗田憲太郎医師


そこで、満州医科大学教授稗田憲太郎医師と知り合い、医療班で働いていたというのです。この医師が大変えらい人だったらしく国賓待遇をされ、華国鋒首相来日時には最初に、この稗田医師のの遺族と面会されたそうです。



河本大作という人は、満州事変を起こしたとされる人ですが、終戦後も中国に残り、国民党の同意により、西北実業建設公司の最高顧問に就任しております。そのとき1200人余りの日本人従業員たちは、彼とともに中国に残りました。その後内戦が起こるとかれら日本人は閻錫山の山西軍に協力して中国共産党軍と戦ったそうです。



戦争で起こった悲惨な出来事を忘れてはいけないと言う人が多い中、命をかけて戦った人たちの間に、なおこのような事実が合ったこともまた、私たちは忘れないようにすべきではないでしょうか。







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