天津駐在員が送る中国エッセイ
***************語学の習得には、その国の歴史、思想、習慣などの知識が必要です。 中国は、私たち日本の隣国であり、世界の大国でもあります。これからいやでもうまくつきあっていく必要があります。一緒に中国の事を勉強しましょう。***************
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私たちには理解できない中国人の行動や考え方には、何かの理由があると思います。
それが、歴史の中にあるのか?
社会環境にあるのか?
お互いによい関係を気づくために、理解しあえるようなブログにできたら良いなと思います。



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日本は、中国理解の宝庫 (上)
日本は、中国理解の宝庫

=== 中国人にとって、日本は、近くて遠い国家である。 ===

一衣帯水(河や湖で隔てられているが、行き来が止まっていない)、一葦可航(葦の舟でも行き来できる)、千年の往来が有るにもかかわらず、お互いによく分かっていない。残念ではすまされない。恩師の季羨林氏は=「深く相手を理解することによってのみ、自分をよりよく認識する事ができる。」 =と言われました。この言葉は、現代の中国人の日本観に当てはまると思います。日本を理解することで、実際に我々自身をさらに認識する事が可能です。

= 漢字 =
奈良時代、日本では完全に中国の漢字を使用しておりました。
その後、日本の仮名ができます。
しかし、部分的には、漢字を使用します。
また、中国にない漢字も作り出します。

例えば「峠」山頂の意味です。
「辻」は、十字路。
「丼」は、大碗。
「凧」は、たこ。

これらの新しい文字は、中国文字の形象文字の特徴を持っております。
実際、中国伝統文化の拡張です。

一方、中国で使われなくなった漢字が、日本で頻繁に使用されています。
例えば
「曜」曜日を表します。1週間の七日を「曜」の字で表します。

魚の名称にも有ります。
日本は島国ですので、食料魚が大変多く、中国では使わなくなった魚の名称が
頻繁に使われております。

例えば、「鮪」は、マグロを指します。

これらの漢字は、中国字典には、載っていません。
明治維新後、日本は、漢字を使ってたくさんの新語をつくりました。

例えば「幹部」「哲学」「主義」「社会」など。
中国にも入ってきて、広く使われております。

皆さんもご存じの通り、朝鮮半島、ベトナムでも漢字が使われました。
アジア漢字文化圏が形成されておりました。
しかし、現在残っているのは、日本一国です。
漢字の母国として、我々は、日本がこの言語文化を掘り起こし、
発展させてくれたことに感謝しなくてはなりません。

= 文化(茶道、華道、香道、歌道、弓道、剣道など) =
道文化。
日本には茶道、花道、香道、歌道、弓道、剣道など十数種類があります。
きわめて豊かな道文化を形成しております。
これらの道文化の多くは中国に端を発し、我が国よりもたけているようです。

お茶の原産地は、雲南。
7,8世紀、飲茶の習慣と仏教が一緒になり、遣隋使、
遣唐使により中国から日本へ持ち込まれました。

現在日本には、茶道の流派が三千余家あると言われ、
修業人口も五百数万に上ります。
茶道は、修養性、総合芸術性が備わっており、日本文化の結晶でもあります。

実際、茶道は、唐朝に始まり、お茶を入れ、お茶を楽しむ手段でした。
また、以てお互いの感情をつなぎ、性格を練り、人生の目的を悟りました。


茶器


しかし、現在中国では、茶道はほとんど残っておりません。
学者は、「茶道は中国で始まり、日本で花ひらいた。」といいます。

面白いのは、最近中国の多くの街で、茶道が復活していることです。
多くの茶室で、茶道流派の茶人を招き、実演が行われております。
これも、「日本理解を通して、中国文化を知る」例でしょう。




上の訳文について、少し説明を加えさせて頂きます。
お茶の起源については、いろいろな説があって、よく分かってないようですが、唐の時代に茶経という本がありました。この本には、茶の製法、飲み方、歴史などが詳しく書かれており、まさに茶のバイブルと言われているようです。この茶経を書いた陸羽(LuYu 733〜804)と言う人が結構おもしろい人で、字は、鴻漸。今の湖北天門の人。この茶経以外にも本をかいているようです。そう聞くと、なんか名門のでの貴族のような印象をうけますが、彼は、捨て子だったそうです。

競陵龍盖寺の「智積」という僧侶に拾われます。
その時、陸羽は3才?(実際には、何才か分からない)だったそうです。

お茶は古くから仏教と深い関係があり、この智積褝師もお茶の事が非常に詳しく、普段、陸羽にお茶を点てさせておりました。彼は、儒教に興味を持ち、9才の時に智積褝師と口論し、怒らせてしまいます。これから、彼には過酷な労働が課せられますが、それでもかれはめげません。しかし、だんだん先輩僧侶からのいじめが始まり寺を逃げ出してしまいます。その当時まだ12才(推測)。

寺院から逃げ出した陸羽は生活の為に、小さな劇団に入団します。一年後に、都から左遷されてきた「李斉物」という地方長官が陸羽の芝居を見て、その才能を買い「火門山」での勉学を薦めます。

三年後に安史之乱が起き、陸羽は大量の戦争難民と一緒に南へ逃げ、銘茶を次々と生み出した中国の「江南」に来ました。
....


つづく






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