天津駐在員が送る中国エッセイ
***************語学の習得には、その国の歴史、思想、習慣などの知識が必要です。 中国は、私たち日本の隣国であり、世界の大国でもあります。これからいやでもうまくつきあっていく必要があります。一緒に中国の事を勉強しましょう。***************
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私たちには理解できない中国人の行動や考え方には、何かの理由があると思います。
それが、歴史の中にあるのか?
社会環境にあるのか?
お互いによい関係を気づくために、理解しあえるようなブログにできたら良いなと思います。



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汪精衛(Wang jingwei) Part 13-1 短命南京政府 「ラスト・コーション」の背景
時間があれば、 この記事の頭からどうぞ!

この投稿は、「ラスト・コーション」(中国名 色・戒)を見られる方の為の予備知識として投稿しております。これまで、林思雲さんんの「真実の汪精衛」を訳しながら要点を投稿して来ましたが、長い文章である為に、まだ半分くらいしか投稿できておりません。来年の正月に「ラスト・コーション」が上映されるにあたり、その当時の部分を先に投稿いたしました。参考にしていただければ、幸いです。


1936年2月26日2・26事件
1937年7月7日廬溝橋事件。これからの1年、日中双方で300万人が戦い、100万人が戦死。
1500万の中国人が難民化し、世界最貧国の日中が70億ドルを灰にします。
1937年8月13日中国保安隊が、日本の海軍士官と水兵を殺害。3ヶ月に渡る日本海軍と蒋介石との戦闘に発展。
1937年11月日本軍上海を占領。
11月5日杭州より上陸し、南京まで到達。
その間にも山西省に侵入した機械化師団が太源を占領。内蒙古を急進撃。
12月山東省に侵入、4ヶ月に渡り戦闘、翌年4月7日敗北。翌月再度戦い徐州を占領。
徐州から西に進むが黄河の堤防を爆破され、南に進路をかえ、蒋介石の臨時首都である漢口へ進撃。
1937年12月7日蒋介石飛行機で南京より脱出。
1938年10月広東陥落
1939年5月ノモンハン事件


失敗すれば、家族全体が末代までも批判される

今、父が計画していることが成功すれば、中国の国民に幸せが訪れる。しかし失敗すれば、家族全体が末代までも人々から批判されるかもしれない。お前はそれでもいいか。

汪兆銘(汪精衛)は17歳の娘、汪文琳にこう問いかけた。時に1937(昭和12)年。汪兆銘は国父孫文の大アジア主義を継承して、日中の共存共栄こそ中国国民の幸せに至る道であると確信し、中国共産党や蒋介石とは異なる独自の道を目指した。

結果はこの言葉の後半そのままとなった。妻は獄死、子どもたちは海外にちりぢりとなった。汪兆銘本人は「漢奸」(中国の売国奴)と今でも非難されている。そしてなによりも、彼が幸せを願った中国の国民には、さらなる戦乱と、共産党独裁政権のもとでの圧制という過酷な運命が待っていた。


1939年8月、日本平沼内閣は失脚、8月31日阿部信行陸軍大将の新内の閣が成立します。阿部首相は翌日に声明を出します。「中国事変は、日本外交政策の核心である。分割統治の方針に切り替え、汪精衛の中央政府を支持、迅速に中国事変を処理する。」

1939年9月15日日本参謀本部は《中央政府建設をして事変を処理する最高方針》を起案。
「中央政府の建設を進め、重慶の停戦を促し、重慶の兵力と財力を吸収する」とします。

阿部首相の新しい方針は汪精衛が中央政府を建設する計画を可能にしました。

汪精衛は、「中日関係の根本的理念と目標」と題する放送で次のように語りかけます。中日間は「結怨不如解怨」である。現在中国は、2本の分かれ道にさしかかっている。一方は、蒋介石先生などが大法螺を吹いて続けようとしている抗日戦争。しかし、私は重慶が勝利を収めれる程の軍事力を持っているとは思えない。抗戦を続けても、共産党を利するばかりである。もう一方の道は、孫中山先生の遺志、敵を友とし、恨みを解く努力をする。前者は中国亡国の道であり、後者は中国の復興の道である。また、アジア復興の道でもある。私は後者の道を行くことを決めました。全国の各党派及び無党派の有志が私に続いてくれる事を望みます。

1939年10月1日、汪精衛は、日本の《中央公論》に《寄語日本》という文章を発表し、中国侵略に熱を上げる軍国主義者に警告を試みます。汪精衛はその文章で「侵略主義と共産主義を私たちは恐れています。中国人は、日本が現在共産主義を排除しようとしているのを知っております。しかし、日本が侵略主義を排撃しているとは思えない。中国人から見ると、日本も侵略主義者であります。そのうえ中国に対する侵略は、はなはだひどく、「東アジア共同体」「東アジアの新秩序」は中国を滅ぼす代名詞に思えます。もし真に日本が中国を滅ぼす事を企んだでいるのであれば、中国は共産主義勢力と連合して日本に対抗するしかない。「無鳩止渇」(毒酒を飲んで乾きをいやす)「以暴易暴」に違いなく、そして「暴中之暴」でありますが、仕方がないことです。

1939年10月日本興亜院は、《日華新関係調整要綱》を起草し、汪精衛と中央政府がの基本的条件について交渉します。興亜院は1938年7月成に立した中国問題を専門に処理する部門です。興亜院が提出した《日華新関係調整要綱》には、《調整原則》《調整要網》《調整要綱附件》が含まれ、前首相近衛文呂が昨年宣布した「善隣友好、共同防共、経済提携」の三原則は大きく退いておりました。《要綱》では、中国を北東、内蒙、華北、華中、華南の5つの地域、階層に分け、

第一階層は、満州国。第二階層は、蒙彊自治政府 (1939年9月日本の画策下、蒙古の徳王と張家口で成立した蒙彊聯合自治政府)第三層は華北、第4層は華中、第5層は華南。《要綱》は、この5つの層別々に政策が図られました。

北東に対しては、満州帝国の承認、中国からの完全独立。
蒙彊地区は、「軍事及び政治上の特別地位の設定」の同意、中国の名目主権下での自治。
華北地区は、「日満華高度結合地帯」とし、防共駐兵」。
華中と華南地区は、平和回復後、日本の軍は撤退し、日本軍艦を揚子江沿岸の特定地点と華南の特定島に寄港、駐屯させる。

1939年11月1日、初回汪方代表と日方代表の秘密交渉が行われます。
汪方は、近衛声明、上海重光堂協議、東京談判の3件の書類を基礎する事を要求します。
日方側の態度は強硬で、《要綱》の方針を堅持します。

汪精衛は、失望の内に上海に戻り、平和活動の停止を発表します。
そんな行き詰まった情況の中、影佐が汪精衛に自分が再度日本側と交渉するので、あきらめずに待ってい欲しいと告げます。

影佐は東京に戻ると、陸軍大臣などに報告し、汪精衛の立場を説明、日本側にも適当な譲歩を求めます。11月下旬影佐は再び上海に戻りますが、汪精衛を満足させることはできませんでした。12月再度交渉が再開され、日本側は、協議書に《極秘了解事項》を添え汪精衛の要求を加える事に同意します。

汪精衛は最後に恥を忍んで日本側の条件で中央政府を成立することを決定します。以前国民党副総裁の身分と比べて、汪精衛の社会的地位はなく、交渉に使えるカードは何もありませんでした。

1939年12月30日、周仏海は中国側の代表として協議書にサインし、こう言います。
「弱国には、外交さえない。我々は、暫時主権を失うけれども、新権建設が始まって、平和になれば、国勢も盛になり、その時に再び日本と再度交渉して遅くはない。」

こうして、1940年3月20日新政府の南京成立が宣布されました。


1940年1月26日日米通商条約失効
1940年9月27日日独伊三国同盟締結


汪精衛の中央政権が成立して半年後、《華日基本条約》が調印されました。
1940年11月30日南京にて《華日基本条約》の調印式が行われ、汪精衛が行政院長の身分で調印しました。

汪精衛は、礼装しホールの石段の前で、日本側の特使阿部信行が到着するのを待っておりました。その時、突然涙があふれ出し、両頬をつたって涙が流れ落ちます。両手で自分の毛をつかみ、激しく引き抜きながら、「畜生!畜生!」と声を上げました。丁度その時、楽団の音楽がなりだし、彼の通訳である周隆庠が「阿部大使がお見えになりました。」と注意を促すと、汪精衛は夢から覚めたように、容姿を整え、微笑みを浮かべて、阿部特使を出迎えたのです。


つづく





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